人がたくさんいる所は苦手だ。





 相手がいつ自分に危害を与えてくるかわからない。

 害はなくとも自分をどういう目で見ているのか。

 会話をしている者たちは自分のことを話しているのではないか・・・。




 考え出すと止まらなくなる。




 哀しくも、虚しい気持ち。








 それはどこにいても同じ事で・・・・・・

 ハイランドでの城の中でも

 仕事のため外へ出た時でも




 無論、それが敵地だとしても―――・・・・・・・・・。












 「今日もあの子は部屋からでてこないのかい?」
 レオナがビクトールの周りに転がっている空のジョッキを片付ける。
 ビクトールが朝方まで飲んでいたため、かなりの量だ。
 「ああ。さっきポールが朝飯を運んで行ったみたいだが、いつもの通りだんまりみたいだな。」
 「よっぽどの人間嫌いなんじゃないかい?」
 「さあな。あまり刺激しないようあれ以来部屋には行ってないけどよ。」
 「悪い子には思えないんだけどねぇ・・・。」
 ため息をつきながら、レオナはテーブルの上に置かれた最後のジョッキを片付けた。
 「それよりビクトール、あんたこんなところで飲んだくれてる場合じゃないだろ。
  フリックはもう朝の稽古にでてるよ。」
 急に自分への話題に変わったため、ビクトールは慌てて先程渡された水を飲み干す。
 「あのくそ真面目な奴と一緒にすんじゃねぇよ。俺だって色々考えてんだぜ?」
 「どうだかねえ・・・。」
 「おし、あの嬢ちゃんの様子でも見てくるかっ。」
 そして、これ以上棘を刺されないうちに。と、ビクトールは席を立った。
 レオナの大きなため息が後ろで聞こえた気がしたが、聞こえないふりをし、酒場を後にした。
 




 



 の部屋の前には兵を一人置いていた。
 もちろんまだ怪我が完治していないため、勝手に抜け出すということはないと思われたが・・・・。
 (あの目は何を考えてるかわかんねぇからな。)
 ビクトールはの部屋の前で立っている兵に軽く声をかけ、扉を叩いた。
 その扉の向こうからは、3日ぶりに聞く細い声が部屋から聞こえた。
 「入るぜ。」
 少し古びたノブを握り、きしむ音をたてて扉が開かれる。
 「よお。怪我の具合はどうだ?」
 はベッドの脇に腰をかけ、外を眺めているようだった。
 今はこちらを見ているが、本当は見えていないような瞳でビクトールを見つめる。
 「はい。大分・・・良くなりました。」
 「そうか。思ったよりも早く良くなってよかったぜ。」
 ビクトールの言葉には少し目を細める。
 そして始めに見ていた窓へと目をやった。
 「・・・・それで、そろそろ出ようと、思っているのですが・・・・・。」
 「・・・・・・・。そうか。まあ仕方ないな。」
 「けど・・・・・。」
 再度こちら側を見る漆黒の瞳は、始めに自分を捕らえていた瞳とは少し違い、
 今度はきちんと自分を見ているようだった。
 ――何かを決心したような目。

 「お礼・・・・を・・・・・・。」
 「礼?」
 想像もしていなかった内容にビクトールが目を丸くする。
 「お礼を・・・したいのですが。」
 「別にいいんだぜ。こっちが好きでやったことだしな。無理する事ねぇよ。」
 「でも・・・。何か・・・・。」
 しっかりと自分を捕らえている瞳は震えていた。
 怯えているのか、それともただの緊張か――。 

 「・・・・・・・・・。おし!わかった。」
 しばらくの沈黙を笑みを浮かべたビクトールが破る。
 の表情はそのままだったが、少し安心したような空気が感じられた。
 「丁度手伝ってほしい事があるんだ。人手が足りなくてよ。
  1週間だけでいい。」
 「1週間・・・・・・・。わかりました。」
 「助かるぜ。そしたら後で外に来てくれ。」
 「はい。」
 よろしくな。と言ってビクトールは先程開けたままだった扉へと向かい、
 入ってきた時よりも少し明るい口調で、部屋の前にいる兵に2度目の挨拶をして出て行った。



 部屋に残されたはベッドの横に置いてある新しい服へと手を伸ばした。
 先日、レオナがその寝間着のままでは出られないだろうと、持ってきてくれたものだった。
 前に自分が着ていたものと似たもので、おそらくそういう物をわざわざ選んでくれたのだろうとわかった。
 (1週間・・・・・・。)
 この数日間、外から聞こえてくる兵達の声や、部屋へと食事を運んで来てくれる人達を見て、
 は少しながらも気持ちの変化を感じていた。
 ハイランドの者として育った自分は、都市同盟の人たちを
 野蛮で、非道な者達だと考え込んでいた。
 しかしここで出会った人たちは、少なからずそのようには見えなかった。
 ――どんなな人たちがいて、どんな気持ちで自国を守ろうとしているのか。
 そして敵国、ハイランドをどう思っているのだろうか。
 そんな大きな興味がこの数日でどんどん膨らんでいった。
 ――少しだけ触れてみたい・・・。
 そして、その思いの答えが簡単に返ってくるであろうこの場所に、もう少しだけ足を留めてみようと考えた。
 (お礼も・・・しなくちゃ・・いけないし。)
 は淡い色のそれに袖を通した。
 (怪我の治療までしてくれて、食事まで出してもらったんだもの・・・。)
 無論、他人が恐くないと言えば嘘になる。
 もちろん追手の心配もあった。
 しかし、いくらハイランドから出た事が分かられているとしても、
 まさか都市同盟の傭兵達が集まる場所に自分がいるとは思われもしないだろう。
 (そう考えると、逆に安全かもしれないわよね・・・?)
 つい最近覚えた、少しばかりのプラスな考えを引き出し、
 は自分に言い聞かせた。







 
 「あ、こんにちは。」

 「もう怪我大丈夫なんですか?」

 「今度一緒に飯でもどうですか?」

 部屋を出て間もないうちに、何人かの兵達が声を掛けてきた。
 しかし不思議と嫌な気持ちはなく、心配をしてくれていたり、
 楽しげな会話をしてくる者たちに暖かな気持ちを感じながら外へと向かった。
 (気さくな人たちね・・・。)

 傭兵の砦は部屋の中から想像していた以上に広かった。
 が、知っている内容としては、その武力規模はミューズ軍の3分の1を占める数である。
 それを考え直すと少し狭いのではないか・・・?
 と思ってしまうくらいの、木造建ての建物だった。

 出入り口の扉を開き、久しぶりに外の光を浴びるとその眩しさに目を思わず細めた。
 そしてふと目をやると、数人の兵を相手に青い人・・・フリックが稽古をつけているようだった。
 フリックはこちらに背を向けているため、に気が付かなかったようだが、
 こちら側を向いていた兵達が気づき、手を止めた。
 「どうした?」
 それに気づいたフリックが兵達が釘付けになっている方向へと顔を向ける。
 「!?」
 そして驚きの表情を表したあと、何かに理解したように目を落ち着かせ、ため息を吐いた。
 「ビクトールの奴・・・・・・。
  剣の稽古をつける助っ人とかなんとか言ってたが・・・。まさかあんただったとはな。」
 「稽古??」
 (誰が誰にっ?)
 思いも寄らない言葉を始めて耳にし、今度はが驚く番だった。
 「何も聞いていないのか?」
 「え?・・・ええ。」
 「あいつ・・・・・。
  ・・・簡単に言うとこいつらに稽古をつけてほしい。あんた剣が扱えるんだろう?
  悪いがあんたの剣は今は用意していないんだ。これでやってくれ。」
 壁に立てかけてあった剣をとり、フリックがにそれを差し出す。
 (ちょ、ちょっと・・・??)
 「あ、あの。私が彼等に稽古を??」
 「ああ。今、兵の数が増えてきてるんだが、そいつらに確かな剣術を教えれる程の奴がいないんだ。
  見ての通り人不足だからな。基本的な事は入っているはずだから教えやすいとは思うがな。
  怪我もまだ治っていないだろうから、軽く見てやってくれるだけでいい。」
 「いや、あの、そうではなくって・・・・。」
 「なんだ?」
 まだ説明が必要なのかと眉間にしわを寄せたフリックがちらりとその青い瞳をこちらに向ける。
 「私なんかでいいんですか?あの・・・教えるというまで剣術は・・・・・。」
 (というよりも、自分が剣術に長けてるのか長けてないのかよく分からない・・・んですけど・・・・・。)
 「確かに、あんたがどれ程の腕かわからないな・・・・。」
 「ですよね・・・・?」

 異様な沈黙を一人の兵が破った。
 「でしたら副隊長が確かめてみては?」
 「ああ、確かに。」
 その一人のなんとも言えない提案に、周りにいた兵たちが妙に納得する。
 「ばか言うな!女相手に剣を握れるかっ。」
 「なっ!」
 正直カチンと来た。
 (お、女相手にって!そんなの関係ないじゃないっ。しかもたった今剣を持たせて
  この人達の相手をしろって言ってたのにっ。自分じゃ相手する気にもならないのかしらっ・・・?)
 「・・・・恐れ多くて剣も握れないとでも?」
 気づいたときには遅かった。
 自分からまさか挑発の言葉がでるとは・・・・。
 「・・・誰も恐いとは言っていないだろう。」
 フリックもの言葉に少し気を悪くしたのか、今にも自分の挑発に乗ってきそうである。
 頭ではやめろと考えていても、気持ちがそうとは言ってくれない。
 (あーーもうっ。どうにでなれ!)
 「恐くないのだったらお手合わせ願えますか?」
 があえて『恐れ』の言葉をだし、そしてフリックに渡された剣の鞘を抜く。
 「・・・わかった。女だからと言って手は抜かないぞ。」
 「もちろんです。」







 「ビクトールさん!大変です!!」 
 会議室の前で一度こけたポールの頬には、少し擦り傷ができていた。
 「あの女の人とフリックさんが戦ってます!止めなくていいんですかっ!?」
 息を十分に切らし、よほど慌ててきたのだとすぐに見て取れた。
 「ああ?なんだってフリックとあの嬢ちゃんが戦ってんだ?」
 自分のせいでもあるのかもしれないと、そのような考えが少し頭によぎったにも関わらず、
 ビクトールはニヤリと笑い、席を立った。

 ビクトールが外へと着いた頃には二人とも息が上がっており、もうかなりの時間剣を交えていた事が伺えた。
 「お前・・・一体何者だ?」
 「・・・・・旅人です。」
 「ただの旅人の割には・・・動きが良すぎるな。」
 そう言いながら先に剣を降ろしたのはフリックだった。
 「ビクトール。」
 そして先程から笑みを浮かべながら楽しそうに眺めていたビクトールに、フリックが背中越しに声を掛ける。
 「なんだ?」
 「こいつを雇う話は決まったのか?」
 (こいつ・・って。)
 あまり呼ばれなれない言葉には少し眉をひそめる。
 「あの・・・――」
 「ああ。決まりだな。」
 「え!?」
 全く身に覚えのない内容には慌てて目線をフリックからビクトールへと移す。
 「そうか。これだけの腕なら俺も反対はできないな。」
 ふっと息を吐きながらも笑みを浮かべるフリックは、剣を鞘に戻した。
 彼が笑う・・・といっても微かだが、その微かな笑顔を見たのは初めてで、
 その青に相応しいと言えるくらい、快い笑みだった。
 (そ、そんなこと考えてる場合じゃなくって!)
 「あのっ、私――」
 「本当ですか!?」
 「やったー!」
 抗議をしようとしたとたん、周りにいた兵たちがを囲み、
 握手をするなり、大喜びするなりで、抗議しようにも自分が訴えれるほどの隙間がない。
 今から言ったところでこの空気を壊してしまうのにも気が引けてしまい、口をつぐんでしまった。
 (はめられた・・・・。でも1週間っていう約束は守ってもらわなくちゃ・・・。)
 少し大きなため息を吐くの肩にビクトールが手を置いた。
 「ま、冗談にしろそうじゃないにしろ、まずは1週間よろしくな。」
 (『そうじゃないにしろ』って・・・・。それに『まず』って・・・・。
  ・・・・・・・・・・大丈夫かしら。)
 疑問が多く残るような目で見ても、彼にそれは利かないようだった。




 





 夕刻、いつものように酒場で飲んでいたビクトールの隣にフリックが座った。
 「本当は話なんて決まってないんだろ?」
 「あ?ああ、まあな。」
 ビクトールが何杯目になるか分からないビールをおいしそうに飲み干す。
 「だけど確かにあの腕なら助っ人に欲しいもんだな。」
 フリックも今来たばかりの酒を口にする。
 今まで反対していたフリックからの同意の意見を聞き、ビクトールが笑う。
 「だろ?少し見させてもらったが、あれはかなりの腕だな。」
 「ああ。」
 「それに美人だしな〜。」
 「お前・・・そればっかりだな。」
 「あったりめーだろうが。ああ?フリック、お前まさか。」
 ニヤリ、と楽しそうに笑い、ビクトールがフリックに顔を近づける。
 「なんだよ。」
 「お前あの嬢ちゃんと手合わせした時に、変な気起こしてそれで同意したんじゃねぇか?」
 「なっ!!そんなわけないだろう!」
 図星・・・というわけではないのに、フリックの顔は何故か焦りが見え、少し赤い。
 それにビクトールは声をだして笑っていた。
 「それによ、お前が怪我が治りきってない女に手出すなんて、どんな気持ちの変化だ?」
 「そ、それはあいつが!」
 「おっ。噂をすれば。」
 「!?」
 二人の視線の先には食事をしようと来た、の姿があった。
 は二人に気づき、朝のこともあるのか少し戸惑っているようだった。
 それに構わず、ビクトールが大きな声で話しかける。
 「嬢ちゃん!こっちで飲まねぇか?」
 「えっ・・・?」
 「お、おいっ。」
 「まあいいじゃねぇか。これからしばらく居るんだからよっ。
  いやー、まさかあそこまで強えとは思ってなかったぜ。」
 「え、と・・・。あのっ・・・??」
 俺の奢りだ!と言って引っ張り、ビクトールはを無理やり席に着かせた。
 「おし!じゃあ乾杯だな。」
 話の流れでいつの間にかジョッキを持たされていたは流れについていけないながらもビクトールに目をやる。
 「っと、その前に。」
 「なんだよ?」
 今にもジョッキを前に出そうとしていたフリックが寸止めをされ、ため息を吐く。
 「名前聞いてなかったな。」
 あ。と、とフリックが同時に口を開ける。
 ここに来てから、この二人は1度も自分を訪れなかったし、
 始めて会った時もすぐに話を終えてしまったため名前を教えている暇などなかったのだ。

 が開けていた口を紡ぐ。
 「・・・・・・・。」

 一瞬苦しそうな表情が見えたのは気のせいだったのか、
 ぱっと顔を上げ、はっきりとした口調で答えた。





 「です。」






















 その日は、久しぶりに口にする

 自分が強くもない酒を夜遅くまで楽しんだ。











 番外編・前へ・・・。