『前へ・・・。』
「おっ、俺より先に酒を飲んでるなんてめずらしいじゃねぇか。」
仕事を終えたビクトールが軽い足どりで酒場へと来たところ、
フリックがいつもの席に座り、ビールを飲んでいた。
「たまにはな。」
どかっと自分の前に座るビクトールに、フリックは苦笑しながら目の前の酒へ口をつける。
「の剣の指導はどうだ?」
ビクトールが自分の前に来たばかりのビールを飲みながら話しをかける。
「ああ、兵達も最初は喜んで訓練を受けてたが、かなりスパルタでな。
みんなすぐにへこたれてたよ。」
「だろうな〜。あれは絶対気が強ぇんだぜ。もう少し笑えば可愛げがあんだけどよ。」
「お前が無理やり引きとめたんだろうが。そんなヘラヘラしてられないだろう。」
「あー、まーなぁー・・・・。」
不思議な沈黙が訪れる。
周りで飲んでいる兵達はいつものように騒ぎながら楽しく飲んでいるようだ。
この場だけが別な空間のように沈黙が続く。
しかし長い付き合いのこの2人には、別に沈黙など気まずいわけではなかった。
ただ、お互い何かを考えているのだろう、と。
自然にそう感じ取っていた。
「お前はいつもそうだな・・・。」
フリックが、ふっと笑いながら沈黙を破る。
「あ?なんだよ。」
「いや、3年前も似たような事があったなと思ったんだ。」
―――『気に入った人なら誰でも連れてきてしまう。』
そう言ってたのは・・・・・・・・彼女だった。
「ああ。・・・いや、あれは無理やりじゃなかったぜ?
向こうが喜んできたんだろうが。」
「別に喜んできたわけじゃないだろう。」
ビクトールの酒のペースは速まり、いつの間にかフリックの飲んでいた量をはるかに上回っていた。
「それによ、あいつの持ってるもんとの持ってるもんは違うぜ。
違う、が、なんかひっかかんだよなあ。」
やっぱ美人だからか?と、いつもの笑い方をするビクトールは何故か楽しそうだった。
「生きてやがっかなぁ。」
「生きてるだろ。」
――3年前、自分達も若かったあの頃。
自分達の人生が変わったと言ってもおかしくないくらいの大きな出来事だった。
こいつも・・・・・・・。
そして自分も―――・・・・・・。
「しんみりした酒はまずいだけだぜ!」
急にビクトールが大きな声を出し、おかわりをレオナに申し出る。
そしてまた、急に声を沈めて話しだした。
「・・・・・・・だけどよ。」
何が『けど』になるのか分からず、フリックはビクトールの話しに耳を傾ける。
「なんだ?」
「・・・・・・・オデッサは―――」
その名前に、フリックは心の中が雷に打たれたように震えた。
今だにその名に過剰に反応してしまう自分に苦笑してしまう。
その辺の人間には分からないであろうフリックの反応も、ビクトールだからこそ分かる。
別に驚きの声を上げるわけではない。
席を立ち上がるわけでもない。
ましてや持っているビールをこぼすわけでもない。
――微かな、本当に微かな反応。
それを見なくとも分かるビクトールは、フリックに目を向けることもなく話を続ける。
「・・・・オデッサは、最後は幸せそうな顔してたぜ。」
特にお前の事を話したときにな。と、笑顔を浮かべながらビクトールは酒を口に運ぶ。
「そうか・・・・。」
それだけの短い返事をし、フリックもジョッキへと手を向ける。
小さな言葉とは反対に、顔には微かに笑みがあった。
――嬉しさ
――悲しさ
――切なさ
様々な感情が彼を包む。
だが、怒りや憎しみという感情が表れないのは、
やはり3年という月日がフリックを少しだけ・・・変えたのだろう。
長くも短い年月は、こうも人の心を変えるのか・・・・・・・―――。
恐ろしくも、しかしそれに頼ってまうのは・・・・おそらく人間だけなのだろう。
だけど・・・・・・・
変わらないものもある―――。
「さて、と。明日も早いしな。そろそろ寝るか。」
ジョッキをテーブルに置いたフリックが、先程より傾いた月が見える窓を眺める。
「にしごかれるしなっ。」
「俺はしごかれる方じゃないぞ・・・・。」
周りに誰もいなくなったことが気づかないくらい、2人で話しこんでいたようだった。
ビクトールは大きく身体を伸ばし、何かつっかえが取れたような、
そんな表情をしていた。
そんな彼の隣で歩くフリックもまた、先を見つめる表情をしていた。
人は変わらないものをもちながら、
変わりたくないと願いながらも、
変わっていく。
――――前へ。
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