時の流れというのは
こんなに穏やかだっただろうか――――。
風はこんなにも優しいものだったのか―――。
陽射しは暖かく・・・・・・・
こんなにも・・・・・―――
―――世界は美しい。
都市同盟の傭兵の砦で剣の稽古をつけるようになってから3日目が経っていた。
始めは慣れなかった彼等との会話も、徐々に慣れ、食事も共にとるようになっていた。
「、そろそろ今日は終わりにしたらどうだ?」
いつもながらがスパルタで剣技を兵達に教えていたところ、フリックがようやく止めに入った。
その一言で兵達は一気に安堵の表情を浮かべ、やっと夕食にありつけるとの事で顔には笑みさも浮かんでいる。
「そう・・・ね。それではお疲れ様です。ゆっくり休みましょう。」
のその言葉で兵達は歓喜の声をあげ、すぐさま酒場へと足を向けていった。
そんな彼らの様子をは笑みを浮かべながら見つめる。
そしてその笑顔のをフリックが見つめる。
「フリック。お疲れ様。」
変な目で見ていたと思われただろうか・・という不安がフリックに過ぎったが、
にそんな様子はなく、いつも通りに片づけを始めた。
「手伝うよ。」
「え?あ・・・・・ええ。」
始めは人一倍自分を疑いの目で見ていたフリックだが、この2、3日で徐々に話しかけてくるようになった。
最初はも戸惑ったが、彼の優しさや、ビクトールと3人でくだらない話をするようになってからは、
戸惑いもすっかりなくなっていた。
しかし2人きりになると、どうも緊張がなくならない。
(やっぱり私って男の人が苦手なのかしら?)
シードと2人きりの時も常に緊張はなくならなかった。
しかしそれは普通の「緊張」とは違い、心地よい気持ちで――。
なのにどうして良いのか分からず、自分の考えている事をきちんと相手に伝えられないもどかしさは常にあった。
(フリックと一緒にいても似たような感じなのよね・・・。なんでかしら?)
確かにシードとフリック。――それに道中出会ったナッシュ。
その辺にいる男性とは少し違う、逞しい身体と整えられた顔。
(・・・・・・え!?もしかして私そういうのに意識をしてしまってるってこと!?)
勝手にそうと考えてしまったは、急にそんなことを考えている自分が恥ずかしくなってしまい、
思わず手に持っていた剣をガシャリと落とす。
「?大丈夫か?」
「えっ?あっ、大丈夫っ。」
(だから今近寄らないでっ!)
「稽古少し無理しすぎじゃないのか?怪我も本当はまだ痛むんじゃ・・・。」
そう言いながらフリックが、の傷跡が残る左腕に触れてきた。
「っ!!」
は声も出ず、ただ肩をすくめて顔を赤くしたまま目を固く閉じているだけだった。
「怪我は大丈夫みたいだな。じゃあやっぱり疲れてるのか?
今日はビクトールに誘われても飲まないで早く寝ろよ。」
そう笑いながらぽんぽんと頭を軽くたたかれた。
「はぃ・・・・・。」
そのまま砦の中に入っていったフリックを結局最後まで見る事が出来ず、
はそこでしばらく固まる事となった。
(シードの時みたいに嫌がればいいじゃない・・・・。なんで動けないのよ・・・・・?)
「おっ、ようやく来たな。、こっち来いよ!」
いつも通りこの時間には上機嫌になっているビクトールに呼ばれる。
ついさっきフリックに言われた事をふと思い出すが・・・。
(別に飲まなければいいわよね?)
呼ばれた先へ足を向け、ビクトールの斜め隣に座る。
「フリックはまだ来てないの?」
「んあ?ああ、そういえばまだ来てねぇな。」
「そう・・・。」
さっきの事もあるのか、心なしかの顔に安堵の表情が浮かぶ。
「なんだ〜?お前らなんかあったのか?」
にやにやと口の端を上げてビクトールがに詰め寄る。
「ちっ、違うわよっ。」
(ほら、ビクトールにはこんなに普通に話せるじゃない。大丈夫大丈夫。)
「おい。」
背後から先程耳にした声が聞こえ、は思わず息をのむ。
「今日はこいつに酒飲ませるなよ。」
今のビクトールとの会話を聞かれなかったか、恐る恐る後ろを振り向くが、
その話に出てきた人物には聞こえてなかったようだった。
「あー?なんだよフリック。ガキじゃねぇんだからよ。
飲んで大丈夫な時と、そうじゃねぇ時の区別くらいつくだろ?」
声を上げて笑うビクトールにフリックがため息を吐き、いつものビクトールの前の席に座る。
「おし!そろったところで乾杯しようぜ!」
「お前・・・・今俺の話し聞いてたか?」
上機嫌のビクトールにフリックが呆れ顔で前に座る相棒を見つめる。
はそれどころではなかった。
(さ、さっきの緊張がっ。)
再度舞い戻ってきた体の強張りに、手に汗握る思いだった。
しかも左を見れば酒を勧めるビクトール。
右を見ればそれを必死に止めるフリック。
(ど、どうしよう・・・・・。)
二つの意見に挟まれたことのないにとって、これほどの混乱はなかった。
が考えを巡らせていると、フリックが耳打ちをしてきた。
「無理しなくていいぞ。今日は俺がこいつの相手するしな。」
にそんな言葉は入ってこない。
先程のことといい、今のこととい、
の混乱を高めるには十分なことであった。
「レオナさん!お酒下さい!」
「おいっ。」
「お、今日は付き合いがいいじゃねぇかっ。」
混乱から逃げるには、今の自分には酒におぼれるしかない。
そしては度の強い酒を口に運んだ。
その飲みっぷりは、周りの兵達の目も惹きつけ、同じテーブルで飲んでいた二人も唖然とを見つめるだけだった。
「なあ、こいつこんなに強かったか?」
ビクトールは先程まで飲んでいたジョッキには目もくれず、
ただ目の前で淡々と飲み続けるを気に留めていた。
「いや・・・いつもは一杯で軽く酔うくらいだろ・・・・。」
さっきから止めに入っているフリックも、もう止める事を諦めてしまい、
止めても止めても無視をして飲み続けるを心配している。
「何二人で話してるのっ?飲んで!さあ!」
既に目が据わってしまっているは、更に二人に酒を勧める。
「お、おい。目が怖ぇよ。」
「怖い?私が?怖いの?」
「、そろそろやめとけ。」
「やめとけ?何を?どうして?」
何を言っても質問で返ってきてしまい、話しにならない。
「くっくっ。女の酔い方じゃねぇな。」
この状況が可笑しくなってきたのか、ビクトールが笑い出す。
フリックはそんなビクトールを見て、この場で何度したかわからないため息を吐く。
そんな時、救いの一言が入った。
「ビクトールもフリックも。何そんなに飲ませてんだい。」
一仕事を終えたレオナがカウンターから出てきた。
「お前が出した酒だろーが。」
「あんた達が飲むと思ったんだよ。まさか全部一人で飲んでたなんてねぇ。」
ウトウトと目を閉じたり開いたりしているにレオナが水を差し出す。
はそれを受け取り、一気に飲み干す。
冷たい清らかな水が、熱い体を冷やしてくれた。
しかしそれも一瞬のことで、そんな事だけでは身体の中のアルコールがなくなることはなかった。
視界は回ったままである。
「、行くぞ。」
そう誰かに言われ、
腕を掴まれ、
立ち上がったところでよろけた。
それを強い腕が支えてくれる。
(これ・・・・確か・・・数日前も・・・・・・。)
意識が朦朧とする中、その腕は自分の身体を支えたまま動き出した。
「まさか自分から言い出すなんてね。」
そのまま二人を見送ったレオナが少し驚きの表情を浮かべる。
「だなぁ。流石に俺も驚いたぜ。つい数日前ならぜってぇ文句の一つや二つこぼしてたぜ。」
二人が去っていった方向に目を向けたままビクトールは飲みかけのままだったビールを飲み干す。
「まあ少しは成長したんじゃないのかい。」
「成長って歳でもねぇだろ。」
声を上げて笑うビクトールに、レオナは新しい酒を差し出した。
「、階段登れるか?」
「んン・・・・。」
そうだと言っているのか、違うと言っているのかもわからない返答が返り、
フリックは笑みを浮かべながらため息を吐いた。
「ちょっと動かすぞ。」
そう言うと、の背中と膝の後ろに手が入り、軽く華奢な身体を持ちげた。
そんなことされてもは反応がほとんどなく、
逆にそれが居心地良いのか、フリックの首に腕を回す。
「お、おい。」
流石に焦ったフリックが少しだけ抗議の声を出すが、それも相手にはほとんど聞こえていなく、唸っているだけだった。
今は何を言っても耳に入らないを抱きかかえ、軋む階段をフリックは上がっていった。
そしてそのまま眠りに入ろうとしているをその状態のまま部屋へ運ぼうとした時、
はフリックの胸に顔をうずめて何か言っているようだった。
何度も繰り返されるその言葉を聞こうと、フリックは耳をすませる。
「・・・ぁ、さま・・・・・・。」
「?」
「か・・・・・さ、ま・・・・・・・・・。」
――「かあさま」――
「っ・・・!」
彼女が始めて優しく、哀しい声で呼ぶその名は、
恐らく自身で殺した母親であろう。
「・・・・・さま・・。か・・さ・・・・・・・ま・・。」
何度も母を呼ぶの声は震え、怯えていた。
「・・・・大丈夫。大丈夫だ・・・。」
フリックは彼女を抱く力を強め、宥める様に話しかけた。
そしていつの間にかの声が途切れ、
その口からは規則正しい寝息が聞こえてきた頃には既に部屋へと着いていた。
を起こさぬように、フリックはそっと彼女の身体をベッドへと降ろす。
寝ているにも関わらずの顔には、少しばかりか苦痛の表情が浮かんでいる。
「苦しんでるのか・・・・。」
少し汗のにじんだその額に自分の手を押し当ててやると、
ふっと彼女の顔が緩んだ気がした。
「―大丈夫だ・・・・・。」
自分の声とは思えないくらいの優しい声に、フリックは思わず手で口を押さえる。
「俺は・・・・何を・・・・・。」
驚きの表情を浮かべたまま、安らかに寝ているへと目を向ける。
彼女はまた何か呟いているようだった。
今度は耳を澄まさなくとも聞こえてきた。
「シード・・・・。」
それは先程自分が出した言葉と同じくらいの、
優しい音色だった。
