あれからどれくらいが経ったのだろう。
初めてここに足を踏み入れた日。
私はその日から変わっていった。
愛銃を持つことなんて忘れていたくらい・・・。
「よぉ。」
いつもの中庭でを見つけたシードは白いベンチに座って本を読んでいたへと歩いてくる。
中庭は鮮やかな緑色と化し、熱い陽射しが降り注いでいた。
「シード。また仕事放ってきたの・・・?」
シードが夕刻に現れる時は必ず仕事をほったらかしにしている時だ。
きちんと終わらせた時は日が暮れた後に姿を現していた。
後者になることは滅多にないことだが・・・。
「違ぇよ。今日は仕事の量が少なくて早めに終わったんだ。
・・・お前さ、俺の仕事がどうとかよりも、早く会えたことに喜べよな。」
「よ、喜ぶわけないでしょ。」
は目線を開いていた本へと向けて、赤くなってしまった顔を隠すように俯いた。
そんな様子を楽しそうに見ていたシードがの隣へと腰掛けた。
二人はあれ以来この中庭で会うようになっていた。
別に約束をすることなく、ただここで偶然ではない偶然を装い、会って何気ない会話を楽しんでいた。
シードはのことを知ろうとすることはしなかった。
最初はあんなにもしてきた質問も、ここで会うようになってからはしなくなってた。
「今日はジル様のところへ行ったのか?」
「ううん。今日はジル様はお出掛けだったみたいで・・・。それで暇だったからこれを。」
そう言っては本を軽く持ち上げた。
「今日は・・・クルガンさまは一緒じゃないの?」
いつも仕事が終わる頃にはクルガンもこの中庭沿いの廊下を通るはずだったが、
今日はなかなか現れない様子には辺りを見渡す。
そんな様子に少しシードはムッとした後、ため息を吐きながら深く背を凭れた。
「あいつは今日は仕事の量がすげぇあるらしいから、そこを通るとしたら夜中になるぜ。」
ふーん。と話を聞き、は再び本へと目を向けた。
(クルガンの次は本かよ・・・。)
一向に自分へと興味が来ないのが不満なシードは会話を続けた。
「そういえばお前さ、口数多くなったよな。」
「えっ。」
急に出された話題にはぱっと顔を上げる。
「初めて会った時なんかこいつ口付いてんのかってくらい静かだったのによ。」
「そ、そう?」
「まあ俺のおかげってわけだ。」
「ジっ、ジル様のおかげよっ。」
(今度はジル様かよっ。)
の思考が自分へと向かない状態には不満だが、シードはこうやってと二人で
話をするの時間がとても好きになっていた。
今まで女と会話をするといっても、向こうからあーだこーだ言ってくることばかりで、
それが面倒なシードは異性との会話を嫌っていた。
ただ自分が暇な時に、夜相手をすれば十分だった。
しかしはそうではなかった。
自分自身の事もあまり話さず、シードの事も根掘り葉掘り聞いてくることはなかった。
ただ今日の天気の話や、楽しかった事苦しかった事なんかを話すだけ。
それだけでシードの心は女を抱くよりも満足感があった。
しかし最近はそれだけでは物足りず、自分のことに対してあまり興味を示さないことがつまらなくなって来ていた。
―― 話したい。聞きたい。触れたい・・・。 ――
日が経てば経つほど欲というものは膨らんでいく一方で・・・。
(俺はこんなに女に・・・・こいつに飢えてんのかよ・・・。)
「あーーつまんねえっ。」
シードは頭をがしがしと掻いたあと、から本を取り上げた。
「あっ。ちょっとっ。」
「出かけるぞ。」
「えっ!?な、何言ってるの?そんなことっ・・・・・・。」
(・・・できるわけないじゃない・・・・・・。)
いくら最近仕事がなくなったからとは言っても、は暗殺を仕事としている。
不用意に城から出て厄介な事になっては自分の命は当たり前のこと、シードの身も危険になる。
「私は仕事以外では城から出てはいけない事になっているのよ?」
それが何故かを言い出せず・・・。
そしてシードもその理由を聞くこともなく会話を続ける。
「だから、知られないように抜け出すんだよ。」
「ええ!?」
「バカっ。これから抜け出すのにそんな大きな声だすなよっ。」
シードはの口を塞ぎながら辺りを見渡した。
「で、でも・・・。」
「大丈夫だって。俺がいんだからな。」
「??」
その自信がどこから来るのか分からず、とにかくその性格が羨ましいと率直には思っていた。
「お前、大きめのマント持ってるか?」
「え?・・・うん。あるけど・・・・。」
「よし。じゃあいくぞ。」
「ちょ、ちょっと?」
の答えは関係なく、シードはの手を引き二人は中庭を後にした。
「シード様、そちらの方は?」
城の入り口近くで後ろから兵に話しかけられ、思わず二人は立ち止まる。
兵は不思議そうに真っ黒なマントに身を包み、フードを深くかぶっているを見ていた。
無視をするにもいかず、シードは振り返った。
「こいつか?俺の今日の相手だよ。」
シードの意味の有りげな笑みに兵がはっと顔をあげる。
「そっ、それは失礼いたしました!」
意味を言ったまま理解した兵は敬礼し、深く頭を下げて去っていった。
「・・・ちょっと。」
「なんだよ?そのままじゃねぇか。今日の相手だろ?」
睨みつけるとは反対にシードはにやりと笑う。
「それにああ言った方が手っ取り早くて良いんだよ。」
「何が手っ取り早いんだ?」
さっき兵がいた位置から今度は聞き覚えのある声に声を掛けられた。
シードが勢い良く振り返る。
「ク、クルガンっ。」
「何を焦っているんだ。また何かくだらん事を考えているんじゃないだろうな。」
「そんなじゃねぇよっ。お前、仕事はどうしたんだよ?」
「一息入れようと出てきたんだ。それより・・・。」
ちらりと後ろを振り向いたままのへとクルガンは目をやる。
相手が相手だけにシードは焦って自分の方へと注意を引く。
「俺がどんな女相手にしようが関係ねぇだろ?」
クルガンがへと目をやったまま、ふっと短く笑った。
「確かにな。それではそろそろ俺は仕事に戻る。」
「ああ。」
クルガンが踵を返した瞬間ホッと二人の肩が落ちた。
案外鈍いのかもしれないな。と、シードは思ったくらい簡単に騙せた。
そう思った瞬間クルガンが前を向いたまま立ち止まった。
「そこの女性の方・・・。」
「はっ、はいっ。」
自分のことを呼ばれ、は思わず声を出してしまった。
シードが一歩遅く口を塞いでいた。
その声を聞いたクルガンはふっと笑い、こちらを振り向かないまま口を開いた。
「この城には黒髪の女性は数少ない。門にいる兵に怪しまれぬよう、
もう少し深く顔を隠した方が良いでしょう。」
そう言ってクルガンは再び歩き出した。
呆然とそれを見ていた二人は、クルガンの足音が消えてから一気に息を吐き出した。
「お前な〜・・・声出すんじゃねぇよ。」
「ご、ごめん。・・・・・バレちゃったかな・・・?」
シードは再びクルガンの向かった方向へと目をやった。
「さぁな。」
「えっ?ど、どうしよう?やっぱりやめた方がいいわよっ。」
いやに落ち着いているシードとは反対には焦りだした。
「いいから早く行くぞっ。」
もたもたしているの腕をシードはぐいぐいと引っ張った。
クルガンの助言もあって、怪しまれる事なく門を出たシードとは足早に城を後にした。
馬を使った方が早く移動できるが、そうするとかえって目立ってしまうため使えなかった。
「シード、どこへ行くの?」
「街ん中。」
「えっ?ちょ、そんな人の多いとこっ。」
「いいから付いて来いよ。」
心配するとは逆にシードは楽しそうに少し声を弾ませていた。
(一体何をするつもりなのかしら?)
はいつも予想のつかないシードの行動に振り回されていた。
しかしそれに振り回されるのも悪くはないと最近は思えてきていたのだ。
自分でも知らなかった自分がどんどん出てくるのがわかった。
おそらくそれは彼にも知られているだろう。
これが俗に言う「恋愛」なのだろうか。と思う事もあったが、
その「恋愛」というものをした事がないため、はっきりしなかった。
そうだと決め付けたくないという気持ちも少なからずあったのも確かだった。
(本当に街のど真ん中に来ちゃった・・・。)
シードは人気を避けるどころかますます人の多い市場へと向かった。
の不安は膨らむ一方で、同時に始めて目にするものにわくわくした。
するとシードが足を止めて、にここで待つよう言ってから店員に近寄り話しかけた。
「二つくれ。」
「はいよ。」
そう言って店員は棒にくるくると何かを巻きつけていた。
の元へ戻ってきたシードの手には棒が付いた飴が握られていた。
「おら。」
そう言って片方をの手に持たせた。
「食えよ。」
飴とシードを交互に見ていたに、シードは飴を頬張りながら飴を勧めた。
その飴はまん丸な球体の形をしており、シンプルな味だったがとてもおいしかった。
「おいしい・・・。」
「だろ?じゃあ次行こうぜ。」
「えっ・・・。」
二人は更に人だかりのあるところへと足を運んだ。
そこは旅芸人が様々な芸を披露しており、ひとつひとつ芸をする度に周りの観客から歓声と拍手が沸いていた。
シードはの腕を引っ張りながら、その客を掻き分けてよく見える場所へと移動した。
そしては初めて見る光景に胸を躍らせた。
火を噴き出す者、大きな針の上を歩いたり、火のついた絨毯の上を歩いたりする者や、動物を操る者もいた。
(すごい・・・。)
目の前で繰り広げられる芸には目を輝かせて芸の数々を見ていた。
その隣でシードはを見つめ、笑みを浮かべながら旅芸人の方へと視線を戻した。
そして夜が更け、二人は軽い足取りで城へと向かっていた。
「シード見たっ?あの火の上を歩く芸!どうやったらあんなことできるのかしら。」
はシードよりも一歩先を歩きながら、今日見た芸の話をしていた。
「あの人きっとすごい足の皮が厚いんだわっ。だからあんな針の上もあるけたのよっ。」
の膨らむ想像にシードが吹き出す。
興奮したはさらに話を続ける。
「それにあの芸もっ・・・・・。」
そしてが振り向いた瞬間口が止まった。
「どうした?」
「ご、ごめんなさい。私ばっかりこんなに話してしまって。」
さっきまであんなに目を輝かせていたは、一気に膨らんだものが萎んでしまったような顔をした。
それを見てシードが笑い出した。
「ぶ・・・くくく。」
「な、何?」
「そんなに楽しかったんならまた連れてってやるよ。」
「・・・本当?」
いつのまにか先に進んでいたシードが足を止めた。
「ああ。いくらでも連れてってやるよ。」
その言葉に、の顔が少し悲しみを帯びた。
シードはふっと笑ってまた歩き出した。
その言葉に答えたくて。
それでも答えられなくて。
その理由さえも伝えられなくて。
――それなのに・・・。
はとっさに走り出し手を伸ばした。
シードが突然起きた事に目を見開く。
振り返るとがほんの少しだけシードの腕を掴んでいた。
彼女の精一杯の力で。
「ありがとう・・・・・。」
聞き取れないほどの声の代わりに、の目はしっかりとシードの赤を見据えていた。
が自分からシードに触れたのは、それが初めてだった。
が部屋に戻った時はもう日が変わった頃だった。
今日味わった楽しさと胸の高鳴りの余韻に浸っていた。
(・・・私は・・・・・・。)
そして机の上に何か置かれている事に気が付いた。
(手紙・・・。)
いつもの場所に、いつもの色の手紙。
これは暗殺の指令がでたことを意味する。
はすっといつもの顔に戻り、その手紙の封を開けた。
――久しぶりの指令。
少し震える手で手紙を開き、目を通した。
「!!??」
そしては目を見開き、食い入るようにその手紙を読んだ。
が読み終わった後、手紙はするりと地面へ落ちた。
「そんな・・・・。」
はしばらくそこから動く事ができなかった。
それは母の暗殺指令だった。
