初めて見る世界。
大きな広間に美しく着飾った貴族達が笑いあっていた。
豪華な食事、酒が振舞われ心躍るような音楽が鳴り響いている。
(すごい・・・。)
はようやく歩けるようになった足を
それでもまだ慣れていないような足取りで大広間へと入った。
そこは同じ城とは思えない別世界であった。
その世界に入っていく勇気は出なく、入り口でそわそわとしているだけだった。
(こ、この人達はどうやって移動しているのかしら。)
この中で移動をするにはもちろん人をかわしながら進んでいくのだろうが、
今のの状態では、転んで恥をかくのが目に見えていた。
(す、隅はどこかしら。)
部屋の隅でしばらく静かにしていようと決めていたは辺りを見回したが、
広間がとてつもなく広いということと、人だかりでどの辺が隅なのかよくわからない状態である。
こんな中でジルを探し出すということは到底無理なように思えてきた。
そしてふと気づくとへと視線が集まってきた。
(えっ?な、何??私の格好おかしいかしら・・・。)
皇女様が選んだくらいなのだから、人前でも恥ずかしくない格好なのだろうと確信はあったものの、
これだけの視線を感じてしまうと大丈夫という自信はしぼんでいく一方である。
(ここから逃げなくちゃっ。)
移動ではなく逃走を図るだが、解決策が見当たらなく、その視線の成すがままとなった。
「おいクルガン。」
「なんだ。」
「あれから調べると言ってたよな。」
「・・・・・なんの事だ?」
「しらばっくれんなよっ。俺が中庭で会った女の事だよ。」
クルガンはシードの少しイライラしている様子を見て、ふっと微かに笑った。
「ああ、あの事か。」
「てめえ、こんな所であぶらうってんなら調べろよ!」
「そう言うならお前自信で調べればいいだろう。お前もここで暇を潰しているのだろう?」
「そんなこと出来るわけねえだろうが。ルカ様が珍しくパーティーに出席なさるんだ。
護衛で来るようになってんだよ。」
シードは面倒くさいとでもいう雰囲気で隅の壁へと寄りかかる。
皇子ルカがこのような場に姿を現すのは滅多にないことである。あまり、というよりも
このような空気を嫌っているようにも見えていた。
しかし今日に限っては出席をするとルカ本人が言い出したのだ。
この滅多にない機会に何かが起こらないとも限らない。
その分今夜のパーティーには護衛が他にも多くいた。
さすがにクルガンもため息を吐き、前を見据えながら静かに口を開いた。
「ならば俺もそうだろう。」
「・・・だろうな。」
シードもため息をつき、煌びやかな世界を嫌気がさした目で見た。
「シード、『黒』を知っているな。」
突然の問いかけにシードは疑問の目でクルガンを見た。
「ああ。ハイランドにいる暗殺者の事だろ?その辺の奴らはそんなやつがいるなんて知らねぇだろうがな。」
「何故、名前が『黒』とつけられているか。わかるか。」
「あ?さあな。真っ黒なんじゃねぇの?」
話に少し飽きてきたのか、シードはクルガンからまた目の前の世界へと視線を移した。
そしてふと何かに気づいたかのように勢いよく壁から背を離した。
「・・・・・・・!!まさか・・・!」
「ああ。『黒』は女だという事は前々から知っていたが、その正体は知られていなかった。
おそらくだが、お前が会ったというその女が『黒』の可能性は高いだろうな。」
クルガンはいつもの穏やかな声を更に小さくしていたため、
辺りから聞こえてくる笑い声や音楽の中から、話全てを聞きとるのが難しかった。
シードが黙っているのをクルガンは少し横目でちらりと見る。
「そうするとお前が相手の気配に気づかなかったことや、一瞬で身を隠せたというのも説明がつくだろう。
黒の髪、黒の瞳。という事にもな・・・。」
「・・・なるほどな。」
短い返事の後、シードは苦笑した。
「・・・・じゃあこの間聞いた名前はもしかしたら嘘かもしれねぇってことか。」
シードはつまらなさそうにまた壁へと身体を預けた。
「だけどよ。なんでそんな滅多に出てこねぇような奴が中庭なんかにいたんだ?」
「そんなことは俺にもわからん。」
「・・・・・・あーー・・・つまんねぇ。」
クルガンは目の前でため息を吐いているいつもと違う様子の相方を見ていた。
たかが偽名を使われたからと言ってなんなのだ。と、いつものシードなら言うだろう。
その女はそんなにもこの男を惹きつけたというのだろうか。
(一度は見て見たいものだな・・・。)
そしてまた、会話の途切れた二人は再び目の前の無の世界へと意識を移した。
(あっ!ようやくジル様が見えた・・・。)
はようやく大広間の奥で皇女の席に座っているジルを見つけた。
だが声を掛けても届かないくらい離れており、その上今ジルに声を掛けられるような状況ではなさそうだった。
そして、見つけたのはジルだけではなかった。
(ルカ・・・様!?)
このような席に似合わないような面立ちのルカが、ジルから少し離れたところにいた。
(なんでこのような場所に・・・。)
毎回ルカは出席をしないとジルから聞いていたが、確かに今、ルカはこの宴会に出席している。
(ということは・・・もしかしたら猛将さんも来ているかもしれない。)
別に保障はないが、そんな気がした。
来ていたらまずいという考えと、また会うのだろうか。という不思議な感覚に襲われた。
とにかく人気のない場所へと移ろうと考え、はバルコニーへと向かった。
外はすこし肌寒く、しかし音楽や人の声が少し遠ざかり安心できた。
「やっぱり人ごみは辛いわね・・・。」
先程くらいの人数を見るのも感じるのも、初めてと言っていいかもしれないくらいの壮大なパーティー。
少しの憧れというものはあったものの、やはりそれは現実ともなれば一瞬だけで十分な経験で、
周りに細心の注意を払って、ずっと全神経を集中させているよりは
このような外れた場所でひとりでいるの方がずっと喜ばしい。
(・・・風が気持ちいい。)
ほっとした瞬間、は後ろに気配を感じた。
振り返るとジルがこちらへ向かっていた。
「こんなところにいらしたのね。」
「ジル様。」
「ふふ。さっき沢山の男性の視線を独り占めしているところを見ていたわよ。」
「え・・・?」
(あのたくさんの視線はそういうものだったのか・・・。)
初めて味わった男性の視線というものに全く嬉しいという気分になれなかった。
「初めてのパーティーはどう?」
「驚きました。」
率直なの意見にジルは楽しそうに笑った。
しかしその笑いはすぐに驚きへと変わった。
も初めて近くで見るその人物に驚きを隠せず、目を見開いた。
「お兄様・・・。」
「この女は誰だ。」
「・・・私の侍女です。」
は何も言えないままただ頭を下げていた。
(気配を感じなかった?今これだけの圧倒感があるのに何故っ?)
出会ったことのないオーラに言いしれないほどの恐怖・・・。
は手にじっとりとした嫌な汗が出てくるのを感じた。
ルカは鞘に刺さったままの剣の先をの顎につけ、荒々しく顔を上げさせた。
「お兄様!」
ルカの手荒な行動に思わずジルが声を上げる。
「ふん。見ない顔だな。」
はその目と合わせないようにしていた。
合わせてはいけないと本能的に感じていたのだ。
背中に冷たいものを感じた瞬間、他の気配を感じた。
ダン!!
上から人が降って来た瞬間、それはルカへと切りかってきた。
しかしその者がルカにたどり着く前に、その者の剣とが服の中に常備していた短剣が交わった。
「キャッ!!」
一瞬の出来事をようやく理解したジルが悲鳴を上げる。
は交えていた剣を弾き、すばやく姿勢を落として相手のみぞおちを攻撃した。
「ぐっ・・?!」
相手は小さな喘ぎを出して気を失い、そこへと倒れた。
周りで様子を見ていた者たちはようやくその相手が倒れた後に何が起きたのかを理解した。
それだけ一瞬の出来事だった。
その刺客と思われる者が誰なのか、どうやってここまで入ってきたのかという疑問よりも、
ルカよりも早くがその相手に対応しているという事が辺りに疑問を広めた。
だががルカよりも早く行動した。というわけではなかった。
それを理解していたのはここにいる者の中で2人だけだった。
そこの空気が一瞬にして静寂と化していた。
「貴様・・・何故邪魔をした。」
その静寂を破ったのは怒りを露にしたルカだった。
「お、お兄様!はお兄様の命を助けたのですよっ?」
「お前は黙っていろ!!」
更に怒りを増したルカは近づいてきたジルを突き飛ばした。
「ジル様!」
よろめくジルへと近づこうとしたの頬に冷たいものがあたった。
ルカの大剣だ。
見なくてもわかるその質感にまた恐怖が蘇ってきた。
(・・・っく。・・・しかし、あそこで私が入らなかったら、ルカ様は・・・。)
ルカは別にその刺客に反応していなかったわけではなかった。
むしろ誰よりも早く気づき、ギリギリのところにまで相手が来るのを待っていたのだ。
そして、自分の手が届く所まで刺客が来たら切りつけるつもりだったのだろう。
自らの足で進まず、勝手に向かってくるものを糸も簡単に振り払おうとしていたのだ。
しかも・・・楽しみながら。
相手がルカに向かった瞬間、ルカは笑みを浮かべていたのをは見逃さなかった。
(何故・・・あんなにもこの方は・・・・。)
「何の騒ぎだ!!?」
バン!と勢い良くバルコニーの扉が開かれ、入ってきたのはシードとクルガンだった。
目の前に飛び込んできた様子に二人とも驚きを隠せなかった。
特にシードは剣を突きつけられているにすぐ気がついた。
「なっ・・・!?」
「ルカ様。いかがされましたか?」
クルガンが足早にルカに近づき、なるべく落ち着いた声で話しかけた。
「・・・・・・すぐにそこに転がっているゴミを処分しろ!」
「はっ・・・。」
転がっているゴミとはが気を失わせた刺客であろう人物のことである。
すぐさまクルガンは兵をよこし、その処分と他にもそのような者がいないか調べるよう命令した。
シードはただを見ているだけだった。
しかも今ルカに剣を突きつけられている。
ルカのあの様子だといつ切りつけてもおかしくはない状態だ。
「言え!何故邪魔をした!!」
すでにの頬から血が流れていた。
しかしは恐怖を感じながらも、それを顔に出す事はなかった。
「そうしなければ、あの者は・・・・ルカ様に殺されていました。」
「当たり前だ!あんなゴミは死んで当然だ!!」
「そうではなく・・・。」
はその時初めてルカの目を見た。
「ジル様の目の前だったからです。」
「・・・・・・・貴様・・・。」
ルカの剣を握る力が入ったその瞬間、剣は降ろされた。
「・・・クク・・・・・・・クククク。」
そしていきなり笑い出したルカにあたりは呆然とした。
はその笑いにさえ言葉では言い表せないほどの恐怖を感じた。
「ククク・・・・そうか。貴様が。」
「・・・?」
「気分が優れん。宴は中止だ。俺は部屋へと戻る。」
そう言ってすぐにいつもの面立ちに戻ったルカはもう興味がなくなったかのように
の横を・・・そしてマイコを見つめたままのシードの横を通り過ぎていった。
(終わった・・・?)
そう思った瞬間足の力が抜けそうになった。
周りに人がいるというだけでなんとか気を確かに保たせていた。
「・・・・。本当にごめんなさい・・・。私が貴女を誘ったためにこんな・・・。」
ジルはと目を合わせられないままでいた。
「お気を落とさないでください。私は自分で勝手に行動したのですから。ジル様も早くお部屋へ・・・。」
他の誰よりも気を落としているであろうジルに、は出来る限り穏やかな顔で話しかけた。
「ええ・・・。ありがとう。」
ジルが付き添いの者と去った後、その流れでバルコニーに人はいなくなっていった。
正直早く1人になりたいと思っていたため安心した。
安心した瞬間、足が力を無くした。
(・・・・だめ・・・・・・。)
「おいっ。」
「きゃっ。」
力を無くしてそこへ崩れ落ちそうになったを力強い腕が支えた。
突き放すこともできただろうが、もうそれも適わぬほど全身の力が抜けていた。
「いきなり倒れんなよっ。」
「・・・猛将さん・・・・・・。」
その名で呼ばれ、シードの目が見開かれる。
そして肩を震わせて笑い出した。
「そんな呼び方されたの初めてだぜ。」
「あ・・・ごめんなさっ!?」
が謝ろうとした瞬間身体が浮きがった。
シードに横抱きにして抱き上げられていた。
「あっ。あの!ちょっと!」
はじめての格好に異常に焦るは動かせるだけ身体を動かして抵抗しながらも、ほんのり頬を染めていた。
「それに初めて会った時もだ。」
「え?」
「ケラケラと笑われたのも、気づかないうちに消えられたのも初めてだったんだぜ。」
そう言いながらシードは歩き出し、大広間を出た。
「あの・・・降ろしてください・・・・・・。」
黙っていたが口を開いた。
こんな格好で、こんな状態で。
(私だってこんなの初めてよ・・・。)
信じられないほど近くにある温もりが、ついこの間初めて会った人で、
別にそんなにたくさんの会話を交えたというわけでもなく、
もちろん恋人同士というわけでもない。
それでこの状態がには耐えられなかった。
とても大きく速い鼓動が彼に聞こえてしまいそうで。
この鼓動は、人を殺める時の激しい鼓動とは全く違うもので・・・。
今まで感じた事のないようなもどかしさが、胸の辺りでうずく。
「どうせしばらく動けねんだろ。」
「大丈夫です・・・。」
「その足でか?」
シードが言っているのは力が抜けた足の事ではなく、慣れないヒールを履いて
足に靴擦れや痣ができてしまっていた事だった。
「いいから大人しくしてろよ。部屋どっちだ?」
「・・・・・・・・・。」
「別に俺の部屋でもいいんだぜ?」
「そこを左です。」
「すぐ反応すんなよ・・・。」
靴のせいで足を痛めてるということに気づくというのは中々普通の人では気づかないもので、
しかもはそれを知られないようあの刺客やルカの相手をしていたのだ。
「女性慣れしてるんだ。」
思った事を思わず口に出してしまったことを後悔したときには遅かった。
は自分の思わず出てしまった言葉を押し込むように両手で口を押さえた。
恐る恐るシードのほうへ目をやると、にやりと笑っていた。
「ヤキモチか?」
「ふっ・・ざけないで下さい。」
ついさっきまで、いけないことをしてしまった犬のような顔をしていたのに、
自分の一言でころころと表情を変えるがおかしかった。
何かしてやろうという気持ちと、何かしてあげたいという気持ちがシードの心に広がる。
「だ、大体この間会ったばかりですし、そんなお互いのこと知らないのに・・。」
「確かに知らねぇよ。教えてくれねぇからな。」
「なっ・・・。」
「おい、どこまで奥に行くんだ?」
「あ・・・。この廊下の突き当たり・・・。」
「いやに奥に住んでんだな。なんで、。・・・・・。」
そのシードの言葉を最後に2人は何も話さなかった。
これ以上、この話を進めてはいけないとお互いに感じていた。
しかし、シードはこれで終わるつもりはなかった。
そしてようやくの部屋の前まで着いた。
「・・・ここです。」
「ベッドまで運んでやろうか?」
意味ありげな笑みを浮かべながらシードはすぐ間近にあるの顔を見た。
「え!いいえ!こ、ここで結構ですっ!」
「ばっ・・・静かにしろよっ。」
過剰に反応したは大声で叫んでしまったため、夜更けの廊下に響き渡った。
また慌てて口を両手で塞いだ。
シードは苦笑しながらゆっくりを降ろした。
「冗談だよ。いくら俺でも剣を突きつけられて力無くした女は襲わねーよ。」
その言葉で今日あったことが一気によみがえってくる。
――あの煌びやかな世界。
――突然現れた刺客。
――ルカに突きつけられた剣。
・・・・・・そして―――。
「血・・・ついてるぜ。」
「え・・・?」
どこに?と聞こうとしたとき、シードの手がの頬に触れた。
痛まないようにその手が優しく、少し乾いた血を拭う。
あまり痛みを感じていなかったため、怪我をしていることを忘れいていたは
怪我よりもシードの手が自分の頬に触れていることのほうが気になって仕方なかった。
「ぁ・・・あの。」
「。」
いきなり名前を呼ばれ、かあっと顔が赤くなったはどうすればいいか分からず、
ただ目を泳がすだけだった。
そんなの様子を見てシードが笑い出す。
「あ、あの??」
突然名前を呼んだかと思ったら次は笑われ、一体何がなんなのか分からなかった。
「あんたの名前、ほんとだったんだな。」
「え?ええ・・・。」
「よし、わかった。じゃあな。」
「えっ??」
今度は突然別れの言葉が出てきて、混乱しながらもは礼を言わなければと思い、
久しぶりにその言葉をだした。
「あ、ありがとう。」
その言葉にシードが振り向いた。
「またあそこに来いよ。」
「え?あそこ・・って。」
「じゃあな。」
あそこというのがどこなのかを確認する前にシードは長い廊下の闇へと消えていった。
(あそこって・・・。)
やはりあそこだろうか。
と、会おうと決める前から場所を確認している自分には気づいていなかった。
その夜、足の痛みを感じる度にシードの事を思い出してしまい、
は1人ベッドの中で赤面していた。
そしてあの事も忘れない。
右の頬がズキリと急に痛み出した途端、蘇る。
―――「ククク・・・・そうか。貴様が。」―――
ルカは自分の存在が『黒』だということを知っているのだろうか?
ルカ程の地位ともなれば、知っていても不思議ではない。
しかし・・・・・あの反応からは以前から知っていたという事は伺えなかった。
様々な感情が入り混じり、
中々寝付けない夜となった。
