森の中は穏やかで・・・・
どこかで鳴いている小鳥の声と
木々が揺れた時に聴こえる、葉木たちのささやきが
鮮明に耳に入ってくる。
馬が歩くその一定のリズムが心地よく、
は無意識に馬の背中を撫でる。
動物は好きだ。
決して主人を裏切る事のない、とても純粋な生き物。
何も語る事は出来なくても、何かを伝える事は出来る。
そんな相棒が自分にもほしかった。
(そういえばナッシュと一緒に現れたあの鳥は、ナッシュの相棒なのかもしれないわね。)
はふとその時の様子を思い出し、ふっと笑った。
その様子に後ろにいるフリックが気づく。
「どうしたんだ?」
「あ、ううん。動物が、可愛いなぁって思って。」
「へぇ。でもそんなこと思うんだな。」
本当に意外そうな声を出すフリックをは思い切り振り返り睨む。
「意外ってこと?」
急に至近距離で振り向くにフリックは目線をずらして焦っていた。
「いや、ほら、お前って気が強そうだから、動物と戯れてるところとかあまり想像つかないって事で・・・。」
「それって意外って事でしょっ。」
「ああ、えっと。すまん。」
少し拗ねた様子で前に向き直ったに、フリックは素直に謝る。
それに対して思わずが笑う。
「あ、フリックは馬とか、鳥とかの相棒はいないの?」
「ん?相棒、か・・・。」
興味津々の明るい表情でが振り返る。
「あ、いるな。」
「え?どんなこ?」
「熊。」
「くま?」
(熊なんて砦にいたかな?)
「大酒飲みの熊が一匹な。」
「ビクトール!」
フリックの説明を聞いて、やっと理解したが大きな声で笑いながらその動物の名を口にする。
「動物扱いはひどいんじゃない?」
いまだに笑いの収まらないは、言動だけでもビクトールに同情を示す。
フリックも楽しそうに笑みを浮かべながら会話を続ける。
「いや、あいつはそれで十分だ。だけどその辺の熊よりは頼りがいがあるかもな。」
「ふふっ。そうね。」
ビクトール。曰く相棒、熊の話しは二人の会話をとても弾ませた。
話している間に、目的地に着いたようだ。
フリックが軽く手綱を引き、馬がそれに従う。
「よし、着いたぞ。」
「ここ・・・泉?」
「ああ。この辺に生っている薬草が腹の具合が悪い時に良く効くんだ。怪我の薬草としても使われてるらしい。」
「へーっ、すごいわね。この泉に何かヒミツがあるのかしら?」
「そうかもしれないな。泉の水も飲むとうまいぞ。」
「ほんと?」
「ああ、飲んでみるか?」
「うん。」
は手を伸ばせば水辺へと届く場所を探し、両手で静かにその清らかな水をすくって口へ運んだ。
「冷たくておいしい・・・。」
「だろう?」
「少しだるかったんだけど、すっきりしたわ。」
その元気になったという印には勢い良く体を起こしてみせた。
「あまりはしゃぐなよ。傷に響くだろ。」
「え?」
「昨日見たとき傷口はほとんど治っていたが、まだ体は痛むんだろう?」
「そんなことは・・・・。」
「稽古の時、痛む場所を庇いながら構えていただろう。」
「あ・・・・・・。」
(気づいてたんだ・・・。)
絶対に気づかれない自信があっただけに、何故かちょっと悔しい気分になる。
しかし、それと同時に少し嬉しい気持ちが自分に溢れてくるのがわかった。
「気遣ってくれて・・・ありがとう・・・・・。」
「いや。」
そう言ってフリックは笑いながらの頭を軽くなぜる。
その行為の恥ずかしさに、は目を泳がしながら会話を探す。
(会話会話・・・・何か喋らなきゃ・・・っ。)
「あ、で、でも、その心配も後2日で終わるから、心配ないわよ。」
ようやく見つけた会話がこれだった。
自分がビクトールと交わした約束の期限は一週間。
それまであと2日を切っていた。
の言葉と共にフリックから笑顔が消える。
(え?わ、私何か変なこと言った?)
困惑するにフリックは黙ったまま真剣な目で見つめる。
その吸い寄せられそうな目で見つめられると、嘘がつけないような気がした。
その瞳は嘘をついていないから・・・・・・。
だからその瞳をまっすぐ見つめられない。
「。」
自分の名を呼ぶ、男性を感じさせるその低い声にはドキリとする。
おずおずと節目がちだった目線を間近にある青に合わせる。
「な、に・・・?」
「俺は・・・・、俺達はお前を一度も迷惑だと思った事はない。拾ってきて仕方なく看病したんじゃない。
大事な兵達の稽古は誰にでも任せられるものじゃないんだっ。」
徐々に力強くなっていくその声に聞き入っていた。
「・・・・・・正直俺は最初、を全く信用していなかった。」
申し訳なさそうに、フリックが少し視線をずらす。
しかしその視線はすぐに自分の元へと戻された。
「だけど・・・、お前と剣を交わして、話をしていくうちに・・・・・、もう仲間のように思えていたんだ。」
その言葉にの瞳が見開かれる。
(なか・・・ま・・・・・?)
言葉だけは知っているが、自分には決して使われないであろうと思っていていたそれは、
相手から声に出して自らの耳で聞くそれは・・・・・・・
とても心地よいもので、
何故か涙が溢れてきた。
自分の記憶の中に泣いた事のある自分などいなかった。
しかし――――
今日その記憶は新しいものへと、変えられた。
瞬きひとつせず、ぼろぼろと涙を流すにフリックはしばらく戸惑い、
とまる事のないそれをどうすれば止められるのか、必死で彼はに言葉を投げかけた。
泉のほとりに腰をかけ、はようやく落ち着きを取り戻した。
しばらく黙っていたフリックが、優しく話をかけてきた。
「大丈夫か?」
「うん・・・・。ごめんなさい。」
「別に謝る事じゃない。それに、あの流れだと俺が泣かしたものだしな。」
ふっと優しい目をしながらフリックは苦笑した。
「ううん。フリックのせいじゃないわ。」
は泉で冷やした手で、腫れてしまった目元を冷やしていた。
すぐに温まってしまうその手を再度水で冷やす。先程からそれを繰り返していた。
そしてまた温まってしまった手を泉へと入れようと思い、立ち上がろうとした時、強く引っ張られた後
自分の手以外の何かが視界を覆った。
「!?」
それが何かに気づくのに少し時間がかかるくらい、は驚いた。
「これで少しはもつだろ?」
「フ、フリックっ?」
の視界を遮るそれは、フリックの冷たく心地よい手だった。
「ハンカチなんてものは持ち合わせてないんでね。」
顔が見えないフリックの声は、それを聞くだけでも笑っている事がわかった。
そして腕を掴んでいたもう片方の手は、肩へと回され抱き寄せられる。
「ちょっ、フリックっ。」
更なる驚きを足されたは、少し身じろいだ。
「何度もそんな事してたらしばらく手が動かなくなるぞ。」
「で、でもいいよっ。」
「いいから大人しくしてろ。」
「・・・・・・はい。」
もう緊張と恥ずかしさで力の入らないが、抵抗したところで敵うはずはない。
言う事をようやく聞き、はしばらくじっとすることとした。
(でも・・・・・。)
こんな状態になってしまったため、は先程より顔の熱を上げることとなった。
二人が馬に乗り、来た道を帰る頃にはもう陽は真上を通り過ぎていた。
「ごめんねフリック。遅くなっちゃって・・・。」
「いやいいさ。ビクトールに比べればここ数日間俺達の方が働いてるんだからな。」
を安心させるように、フリックは笑顔を向けた。
「・・・・・・うん。」
も笑みを返したが、前に向き直ってからそれはすぐに消えてしまった。
―――――仲間。
フリックが言ってくれたその言葉は、自分に大きな衝撃と嬉しさを生み出した。
・・・・・・・しかし
それと同時に困惑と悲しさをも生み出した。
自分はここには残れない。
いくら彼等が居てもいいと言ってくれても、何かがそれを許さない。
彼等とは・・・・一緒にいられない。
(絶対・・・・・っ。)
フリックの見えないところでは、ぎゅっと目を瞑り、
そして前を見据えながら顔を上げた。
(砦についてしまう前に、彼にはきちんと言わなくちゃ。)
――――ここには居られない。と・・・・・・・。
自分を仲間だと言ってくれた、彼には・・・・・・・・・・・。
「フリック。」
「どうした?」
一瞬だけは息を呑む。
本当は言いたくない。
ここにいたいと叫びたい。
だけど、自分の中でそれを許す事はできなかった。
「さっきの話しだけど・・・・・。」
「・・・?ああ。」
フリックが馬を止め、そしてが振り向き瞳だけで彼と向き合う。
やな空気だ。
フリックは無意識に感じた。
が口を開いた瞬間、自分達以外の声が聞こえた。
二人はこれから自分達が向かう方向へと目をやった。
「フリックさーん!!!」
「・・・ポール?」
ポールは息を切らし、数百メートル先の砦から走ってきたようだった。
「何かあったのか?」
「は、はいっ。が帰ってきたんですけど・・・・・。」
「が?そうか、無事だったんだな。」
は始めて聞くその名に首を少しばかり傾げる。
(?)
疑問を浮かべているをよそに、二人は会話を続けた。
「そ、それで達と一緒に来た女性が・・・・ビクトールさんの知り合いだそうで・・・・。」
今会議室にいます。と、息を切らしながら、途切れ途切れにポールは一生懸命喋っていた。
「ビクトールの知り合い?」
「はい。」
思わずとフリックは顔を合わせる。
(ビクトールの知り合いの女性って・・・・誰かしら?
それにって・・・・。)
「分かった。俺は急いで会議室に向かう。すまないなポール、わざわざ知らせに走らせて。」
「い、いえ!とんでもないです!」
ポールは礼を向けたフリックに対し、体勢を整えて嬉しそうに顔を輝かせた。
(尊敬しているのね。)
その純粋な眼差しには笑みが自然とこぼれる。
そしてそのポールに気を取られている間に、フリックが馬を走らせた。
「あ、そうだわフリック。って?」
(ビクトールの女性の知り合いっていうのにも、少し興味があるけど・・・。)
「ああ、そういえばは知らなかったんだな。後で紹介するか。」
「・・・・うん。」
は結局伝えようとしたことを言えず、そのまま砦へと戻った。
あの一瞬の躊躇がなければ、ポールが来る前に言えただろう。
しかし、少しくらいは自分の運命に逆らいたかった。
もちろん、それが長く続くとは思っていない。
だが、運命とはこうも一瞬の出来事で変わってしまうものなのか。
は直ぐにそれを実感する事となる。
