女性が、初めて恋をした相手を忘れないというのは本当だろうか。
・・・・・・・・・それなら――――
初めて手を繋いだ相手は?
初めてキスした相手は?
そんな経験、まだないけど・・・・・・・
初めて異性として意識してしまった相手は・・・・
どうなんだろう?
―――そんなのは
すぐに忘れるものなのだろうか・・・・・・?
(頭・・・痛いなぁ・・・・・・・・。)
窓に朝日が差し込み、その光で目が覚めたは、
昨日の酒が残る気だるい体を中々起こすことが出来ず、その黒い瞳だけを開いて天井を見つめていた。
(でも訓練が・・・・。)
早朝からの訓練のため、もう起きなくてはいけない。
は嫌がる体を無理やり起こした。
眠る前、目が覚めた時、ひとりの時間に・・・
いつも思う。
(私・・・・・・何してるんだろう?)
逃げ出したとはいえ、つい先日までハイランド側にいた自分が、
今やその敵地となるその土を踏み、
そしてその敵軍に剣の稽古をつけているのだ。
自分が教えたその剣が
―――王国兵を貫くかもしれないのに。
――――彼を
殺してしまうかもしれないのに・・・・・・・。
は時々思ってしまう事があった。
都市同盟の傭兵達に剣を教えている時。
ビクトールやフリックと飲んで、彼等が隙を見せる時。
自分が彼等に剣を向けたら。
(・・・・・・・・・・ハイランドは・・・・・
都市同盟に簡単に攻め入ることができる。)
しかし、何度もそのチャンスを目の前にしても行動に出来ないのは―――
彼等の笑顔が自分を止めるから。
彼等の優しさに居心地が良いと思ってしまっている・・・・・・自分がいるから。
(それに・・・・今更私がハイランドのためになることをしたからといって・・・・・・・、なんになるの?)
のいつもはっきりと答えの出ない霧の世界が、
ある声によって一瞬で現実に引き戻される。
「、起きてるか?」
「フリックっ?」
扉を軽く叩く音と共に聞こえてきたのは、
昨日恥ずかしい姿をさらしてしまった相手だった。
すぐにベッドから立ち上がり、扉を開けようとしたが
昨日のことが頭から離れず、なかなかノブを握れない。
「大丈夫か?」
困っている間に扉の向こうから声がかかる。
「え、あ。ええ・・・。」
結局そのままの状態で返事を返す。
その事には別に気にしている様子もなく、フリックは話しを続けた。
「昨日かなり酔ってただろう?それで少し心配になったんだ。」
「あ、ありがとう。大丈夫・・・と言いたいところだけど、正直頭が痛いわ。」
(本当に・・・色んな意味で痛いわ。)
思っていたより明るい自分の声が聞こえたことに安心したのか、
フリックが、ふっと笑みをこぼしたのを扉越しに感じた。
「今日は訓練を昼からにして、朝出かけないか?」
「え?」
「二日酔いに良く利く薬草が近くに生ってるんだ。一休み程度に行ってみないか?」
正直『二日酔いに利く』と聞くと、行きたいと素直に思ってしまう。
このダルさと頭痛が少しでも早くなくなるのなら、喜んで飛びつきたい話だが・・・・。
「フ、フリックと?」
「一緒に行かないと道に迷うだろ?
それに、俺も丁度息抜きしたかった頃だしな。」
(・・・そうか。そうよね。フリックも毎日忙しいんだものね。
それなら・・・・・。)
傭兵隊の副隊長ともなれば、毎日が大変なのは当たり前なのだろう。
しかもあのビクトールが隊長を務めているのだ。
(それなら大変よね・・・・。)
は思わず苦笑してしまう。
1週間預かっている小娘に付き合って、森へ散歩。
とでも言えば、彼も気軽に息抜きできるのだろうと考えたは、
さっきまで見つめるだけだったノブを握った。
「じゃあお願いするわ。」
急に扉が開き、姿を現したにフリックは少し驚いたようだったが、
笑顔のに「じゃあ後で。」と、彼も笑みを浮かべながら部屋を後にした。
「さてと、着替えようかしら。」
先程開けたばかりの扉を閉め、
は昨日のままだった服をベッドへ放り投げた。
いつもよりも少し早めに朝食を済ませ、
フリックを待たせてはいけないと思い、せわしなくは片付けをする。
「レオナさん、ごちそうさまでした。」
「ああ、そこに置いておきな。」
「はい。」
手に持っていた食器をカウンターに置いたをレオナがまじまじと見つめてきた。
「な、なんですか?」
「いや、なんか嬉しそうに見えるもんだからね。」
何もかもお見通しのようなレオナの目から、は顔ごと逃げた。
「そんなことないですよっ。」
「そうかい?まあいい事ならいいんだけどね。」
笑みを浮かべながら手を動かすレオナをはちらりと目を向ける。
「・・・・レオナさんは、男性を意識してしまうことって・・・・ありますか?」
「そりゃあ、私も女だからね。もちろんあるさ。」
さらっと答えてしまえるレオナに、は目線をカウンターへと下げた。
いつもと違う様子をすぐに感じたレオナは一度手を止め、
何か迷いのある表情をしているに話しかけた。
「どうかしたのかい?」
「あ、どうか、したというわけではないんですけど・・・。」
まだ目をあわせられないながらも、ぽつぽつとは話しだした。
「・・・私、あまり男性と接する機会がずっとなかったんです。でも最近、急に男性と話をしたり、
接する機会が沢山増えて・・・。それで・・・・・・。」
(上手く伝えられないな・・・。なんて言ったらいいのかしら・・・。)
「それで色んな人を意識しちゃうって事かい?」
まるで自分の考えている事が分かっているかのように、レオナはの言いたいことを口にした。
「そ、そうっ。そう、なんです。
あの、好き・・・とかではないと思うんですけど。」
『好き』という単語を出した途端に目を泳がせ、軽く頬を染めるを見て、
レオナは艶のある笑みを浮かべた。
「いいんだよ。それで。」
「え?」
「今まで男と話したりする事があんまりなかったんだろ?それで急にこんな男だらけのとこに来たんだ。
意識せずにはいられないさ。」
「そう、でしょうか?」
「そうだよ。当たり前のことさ。
まあ男に慣れないってことで、意識するということと、
それ以上に意識するっていうのは別ものだけどね。」
は、こちらを見据えて話すレオナの目をようやく見る事が出来、
無言で何度もうなずいていた。
「それは、そうなった時に自然と気づくさ。」
「え。その違いは教えてくれないんですか?」
「それは自分で見つけるものだよ。。」
話はおしまい。とでも言うように、レオナは止めていた手を再び動かした。
肝心な内容を聞けなかったものの、自分がおかしくなったというわけではない
ということは分かることが出来たので、は満足気に息を吐いた。
「わかりましたっ。その時が来るのを待ちますね。」
「その時を楽しみにしているよ。」
「はいっ。」
は今までにない明るい声を出し、一言礼を告げ、外へと向かって行った。
その向かう先にあるものが何かを知っているレオナは、
が出て行った扉を見つめ、目を細めた。
「ごめんなさいフリック!待った?」
「いや、馬の手入れをしていたからそうでもない。」
「あ、馬で行くの?」
フリックに撫でられていた馬は綺麗な黒い毛並みをしており、気持ちよさそうに首を振っていた。
「ああ、森の中でも細い道はあるからな。」
「あれ?一頭?」
辺りを見渡したが、他の馬は見当たらない。
(え・・・!?という事は・・・・。)
「もしかして、馬に乗れたのか?」
少し驚いたようにフリックがその青い瞳でを見る。
「の、乗れたりします・・・・。」
少しの沈黙の後、馬の軽い鳴き声で、はっとフリックが顔を上げた。
「すまない!てっきり乗れないのかと・・・。
今もう一頭連れてくる。」
の返事を聞かずに、慌てて踵を返したフリックに驚き、と馬が顔を向けた。
「ちょ・・・、別に大丈夫よ!」
今度はが慌て、急いでフリックの腕を掴んだ。
「それに、もう一頭連れてくる間の時間が勿体無いじゃない。
お昼までもう少ししかないんだし、行きましょう?」
少しだけフリックは何か言いたげな顔をしたが、
目線をから空へと向け、青を増してきている空を眺めながら口を開いた。
「・・・・そうだな。少し陽が昇ってきてるしな。」
待ちくたびれた馬へと戻り、フリックはまた優しくその子を撫でた。
心地よい動物の鳴き声。
その声を聞き、は目を細める。
そして二人は一頭の馬に跨り、
太陽が真上に昇るまでの間『息抜き』をすることにした。
あの時見た
青の中に青を入れたその色は
今まで見たどんな色よりも澄んでいた。
