窓の外を見ると、その向こうは冬の匂いが漂い始めている色へと変わりつつあった。
どうしてこの時期に人は哀愁を漂わせるようになるのだろう。
はぼんやりと頬杖をついて外を眺めていた。
「、入るぞ。」
軽いノックの後に、低い声が廊下から聞こえた。
「あ、はい。どうぞ。」
静かに開け放たれた扉から、クルガンがすっと部屋へと入ってきた。
彼が入ってくると同時に、は立ち上がり近くにあった軽い上着を羽織った。
「おはようございます。クルガン様。
下からお茶でも頂いてきましょうか?」
「いや、大丈夫だ。」
「そう・・ですか。
あっ、こちらにどうぞ。」
自分には勿体無いくらい広い部屋の隅にある、ソファへと促した。
そうするとクルガンは、失礼する。と他の上官では有り得ない程紳士的にそこへ腰掛ける。
クルガンが座ったのを確認し、も彼の向かいへと座った。
「そろそろジョウイ様が戻られる頃だな・・・。」
「はい・・・。」
――――そしてシードも・・・・・。
二人は心の中で同じ事を続けた。
口に出さずとも、分かっている事だ。
「。先日お前の話を聞いて、ジョウイ様の傍にいたいという決意は分かった。
お前が決めたことだ。俺は何も口出しはしない。」
クルガンの口調は、いつも冷静沈着・・冷酷さの中にどこか強い、攻める雰囲気が混ざっている。
涙を流すほどの感情を露にすることなどあるのだろうか・・・ふとそんな事を思った。
「しかし・・今第四軍団長という地位にいる人間の傍にいるということは、ハイランドへ戻るという事だ。」
は無言で頷く。
「ハイランドへ戻るという事は・・・・・シードの元へ戻るという事に等しいぞ。」
「私は・・・シードではなくジョウイの――――」
「お前一人はそれでいいだろう。
しかしシードはそうはいかない。ハイランドへとお前が戻ってくると知ったら、
間違いなく自分を選んだと解釈するだろう。」
分かりきっていたのに、何故か考えていなかった事を真っ直ぐに言われ、は思わず視線を落とす。
「それに・・お前を傍に置くジョウイ様も何かと面倒な事になるやもしれん・・・。」
「面倒な・・事・・・?」
「『黒』という存在を、誰にも分からない場所に{保管}するのではなく、ただ自らの傍に置いておくとすれば・・・、
それなりの問題があるとは思わないか?そして何より・・・お前の気持ちの問題がある。」
「・・・・・・・・。」
久しぶりに聞くその色の名が、頭のなかで響いている。
そうだ・・。自分は『黒』だった。
いや、もしかしたら『黒』にまた戻るのかもしれない。
あの無を・・・・・また味わう事になるのかもしれない・・・・。
でも・・・・・・、
それでも――――
「それでも・・・、それでジョウイの傍にいられるのなら・・・・――――」
――――「・・・・お前が・・・・生きていて・・良かった。」
シードと砦での戦場で再開した時、彼はそう言ってくれた。
約束を破った自分を
目の前で自分の母を殺した自分を
待ってくれている人がいた。
暗殺者、殺人鬼、そんな自分をそう思ってくれた人がいたというだけで、
『黒』という存在を、受け入れられるような気がした。
そして、以前は誰のためなのか・・自分の意思なのか・・・そんな風に全く方向も分からず歩いてきた自分だったが、
これからはジョウイのために・・・・。
そんな新しい『黒』となれるなら、そう呼ばれる存在となっても構わないと思った。
沈黙が・・・小さな沈黙が広い部屋を包んでいた。
「・・・・構わないんだな?」
「はい。」
「・・・そうか。」
そう短くクルガンは言うと、立ち上がり扉の方へと足を進めた。
「クルガン様・・・・。」
「お前はジョウイ様のために。
我々は祖国ハイランドのために・・・。」
「・・・・・・。」
クルガンが何を言わんとしているのかは分からなかったが、
こちらを振り返った彼の表情は何故かいつもより穏やかで、決意を改めたものだった。
「たまにはシードの事も構ってやるんだな・・。」
小さな笑みを作ってそう呟いたクルガンに、は困りながらも口元を緩めた・・・・。
クルガンの言ったとおり、その当日ジョウイたちはグリンヒルへと到着した。
屋敷へとすぐ戻ったジョウイの傍に、シードの姿は見当たらなかった。
「ジョウイ、おかえりなさい。」
真っ直ぐな微笑みを浮かべながら出迎えたに、ジョウイは一瞬戸惑いをみせるも、
ただいま。
優しくそう言ってくれた・・・・。
「さん、お話があります・・・・。
少し・・いいですか?」
「ええ、もちろん。」
ジョウイにそう言われ、全ての覚悟を背負いは後について彼の部屋へと向かった。
決意はしたものの、やはり緊張というものは離れないもので、
扉を閉める音がやけに大きく響いた気がした。
ジョウイは、グリンヒルを発つ日と同じように窓辺に立ち、こちらを真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「さん・・・・今ならまだ間に合うかもしれない。」
「・・・・間に・・合う?」
何を言われているのかもよく分からず、ただ力なくジョウイの口にした言葉を復唱した。
「僕は・・あの時の僕は弱かった。本当に・・・ただ弱い存在でしかなかった。
貴女を必要とし、傍にいて欲しいと願いました。」
ジョウイはこちらから身体ごと目を逸らし、窓の外へと語りかけた。
恐らく、あの時というのはアナベルを暗殺したときの事を言っているのだろう・・・。
「もちろん・・・今でもその気持ちは変わりません。貴女が傍にいてくれたら、どれだけ心強いか・・・。
・・・・・けれど、そんな僕の勝手な気持ちだけで貴女を不幸にするわけにはいきません。」
「不幸・・・?」
「僕がこれから成そうとする事は、僕だけがすればいい。」
「・・・・・・・。」
ジョウイが再度の黒い瞳を捕らえる。
「だから・・・まだ間に合います。
都市同盟の・・・新都市同盟軍へと向かってください。」
は初めてそこで会話の内容で理解できないものに反応する。
「新都市・・同盟軍?
ジョウイ・・・・・新都市同盟軍って・・・。」
「知りませんでしたか・・・?
ミューズ、そしてサウスウィンドゥが落ちた後、残党軍がノースウィンドゥ城を現在城として本拠地にし、
新都市同盟軍として今動いているんです。
そのリーダーを・・・・がしているんです。」
「そんなっ・・・!それじゃあこれからも戦争は続くの・・!?
それに・・・リーダーがって・・・・。
それじゃあ・・・それじゃ・・・・。」
(それじゃあこの前達が来ていたのは・・・・。)
一度に二度も混乱する内容を頭に入れ、
は眩暈がするようだったが、ジョウイが再度向こうを向いたことによって再び彼の存在を意識した。
「戦争も・・この狂った状況も僕が終わらせます。
だから・・・貴女は達の元に戻ってください。」
「・・・ジョウイ。」
チャンスじゃない。
ほら。
みんなの元に戻れるじゃない。
ジョウイのためにジョウイのためにって縛られていたものが今無くなったんだよ。
みんなとまた、笑い合えるチャンスよ。
「そうね・・・・・。」
前の私なら・・・もしかしたらそんな何処かから聞こえてくる声に負けていたかもしれない。
甘えて、縋って・・・・逃げていたかもしれない。
目の前で自分に背を向けている少年に視線を送る。
その姿は・・・・窓の向こうと同じ哀が漂っており、
それでも少年とは思えない大きさがあり・・・・、
そんな彼だからこそ、傍にいたいと―――守ってあげたいと思ったのだ。
「でもジョウイ。私はここにいたいの。」
ジョウイが弾かれたようにこちらを向く。
その瞳は、先ほど大きく見えていた背中とは相反し・・・・、
17歳という、まだ誰かに掴まっていたいという年頃の眼をしていた。
そんなジョウイには深く・・・深く微笑んだ。
「私が・・傍にいたいの。」
いいかな?
そう問いかけるに、ジョウイは言葉を発することも無く、
頷くことも無く・・・ただ今、縋るような表情をしてしまったという後悔をしているようだった。
は俯く少年を優しく包み、自分よりも少しだけ広い背に両手を回した。
「いいの。いいんだよジョウイ。
頼りたい時は縋ればいい。泣きたい時は泣けばいい。
傍にいて欲しい時は・・これから私がいつでもあなたの傍にいてあげるから・・・・。」
頷く代わりに、震えるジョウイの手がを包み返していた・・・・。
この子のために生きよう・・・・・・・・・。
そう誓った。
ジョウイの肩越しに見える窓の外は・・・・・
相変わらず悲しい色をしていた。
