ハイランドという国にそこまで未練はなかった。
 その国自体を見渡した事もなく、街の中を遊びまわったという幼い頃の記憶もない。

 「故郷」と呼ぶには難しかった。

 ただ自分が「いた」だけの国。






 それだけだ。




 それだけなはずなのに・・・・・―――






 こんなにも迷ってしまう自分がいるのは何故だろう。


















 は関所をなんとか通ることが出来、
 ジョウストン都市同盟最大の都市、ミューズへと向かっていた。
 (それにしても関所のあの様子。ハイランド侵攻はそう遠くはないはず・・・。)
 お金を渡してまでようやく通った関所の状態は決して軽い空気が流れてはいなかった。
 緊迫した様子が伺え、ハイランドが都市同盟へと攻め入るのも時間の問題と見えた。
 (とにかくミューズで食料を調達しなきゃ。それに、久しぶりにベッドで寝たいなあ・・・・。)
 ルルノイエを出発してからというもの、木の下を寝床としてきたにとって、
 屋根のある場所で、そしてベッドで寝るというのは、楽しみの一つでもあった。
 (あー、あとお風呂も入りたい。服も・・・真っ黒じゃあ逆に目立つし、新しいのを買うかな。)
 道中、多くのモンスターと戦ってきたため、お金は十分に持っている。
 宿へ泊まり、食料や装備を整えるくらいの金額はあった。
 (ナッシュ・・・シエラさんに会えたかしら・・・。)


 日も暮れ始め、そろそろ街が見えてくるだろうと考えていた矢先、
 道の先に街の灯りが目に入った。
 「ミューズだわ!」
 一気に顔が明るくなったは歩く速度を上げ、気付けば自然と走り出していた。
 命令で都市同盟内に足を向けたことはあっても、
 流石にミューズ市まで入った事のないは、新しい土地に目を輝かせた。

 大きな城門を潜り、は辺りを見渡す。
 街は日が暮れたにも関わらず、活気が溢れ、露店などが立ち並んでいた。
 それはルルノイエで見た店ととても似たものだった。

 ――シードと一緒に行った所と・・・。

 は懐かしそうに並ぶ店を眺め、ふと我に返る。
 (ばか・・。もうそんなこと出来ないんだってば・・・・。)





 また連れて行ってくれると言ってくれた。
 何度でも連れて行ってくれると約束してくれた。



 でもそれを自分から突き放した。





 ――いや・・・・・。




 逃げ出したのだ。




 嫌われるのが恐くて。
 自分を拒否する彼を見たくなくて。
 失うのが恐くて。
 失うという実感を感じたくなくて。

 それを知る前に・・・自分は逃げ出したのだ。














 は食料や道具を何日か分調達し、洋服屋で今まで着た事のないくらいの少し明るめの服を買った。
 そして宿屋へと向かう途中、ふと街の後方を見た。
 (ジョウストンの丘・・・・。)
 名前のみを知るそれは、街を見渡すには十分な場所にあり、高々と街を見下ろしていた。
 は、気づくと丘を登る階段へと足を向けていた。
 最後の階段を上り終え、闇に包まれたはずの明るい街を目にし思わず息を吐いた。
 
 「綺麗・・・・。」
 形こそは分からないが、街に一つ一つ灯された光は、きっと暖かな家族を包んでいるのだろう。
 その光は数え切れない程あり、それを眺めるの心をも包んでくれた。
 (この地を守りたいという人も、たくさんいるのよね・・・。)
 目の前の灯りの中にいるであろうそんな人たちを思い浮かべ、は丘を後にした。



 念願の宿は想像以上に大きく、綺麗にされていた。
 何日ぶりかを数えたら恐いくらいという間入っていなかったお風呂にも入り、
 久しぶりに人が作った食事を口にした。
 その普通だろうと言える幸せをかみ締めて、はその日ゆっくりと寝る事が出来た。


 そして次の日の早朝、はミューズを後にすることとした。
 (ハイランドが最初に攻め入るとしたら天山に近いトトかリューべ・・・。そこから少しでも離れなくては。)
 ザリっと音を立てて身体を西に向けたはふと足を止める。
 そして顔だけを振り返らせ、後ろで聳え立っている天山を見つめた。
 (ユニコーン少年兵達は・・・全員殺されてしまったのかしら・・・・。)
 ――見殺しにしてきた少年達。
 故郷へ帰るはずが同じハイランドの者の手によって殺され、
 そしてそれがハイランドが都市同盟へと攻め入るきっかけとなるであろうと誰が予想しただろう。
 (しかし、それももう終わってしまった事・・・・・。)
 は目を堅く閉じ、彼らの冥福を祈った。
 
 そして急に現れた気配に前へと向き直る。
 向かおうとしていたその方向に5人の真っ黒な男達が立っていた。
 その中の一人が口を開く。
 「・・・・・だな?」
 「!!」
 その一言にはすかさず踵を返し、全力で走り出した。
 「追うぞ!!」
 掛け声と共に5つの黒が追いかけてきた。
 (くっ!数が多すぎる!)
 後ろから追いかけてくる敵は散り散りになり、左右へと広がった。
 後ろへと引き返すのは明らかに無理だった。
 (少しずつ倒して・・・撒くしかないわね。)
 手始めに一番右にいる敵へと少し近づき、走る速度を緩めた。
 案の定、速度を上げて向かってきた相手は、届きそうで届かないに剣を振り上げた。
 は走りながらもその剣をいとも簡単に自らの剣で弾く。
 「何っ・・・!?」
 そして驚いている相手にすかさず剣を突きつけた。
 呻き声もあげず倒れた敵の傍らに、もう一人剣が突き刺さったまま倒れている黒が見えた。
 弾いた敵の剣が、隣で走っていたもう一人に刺さり倒れたのだろう。
 もちろんこれはの狙い通りの事である。
 (3人くらいなら逃げらるはず!)
 走りながらの戦いで少し息が上がるが、ここで速度を緩めたら命はない。
 は全力でトトの村へと向かっていった。




 追手と思われる黒ずくめの男達が現れてから丸1日が経った。
 なんとか敵を撒いたは、寝ることなく走り続け、トトの村に着いた。
 (ああいう連中のことだから、こういう所で襲ってくるということはないと思うけど・・・。)
 村の中を見渡してもそれらしき人物は見当たらず、
 は張り詰めていた神経を少し休ませた。
 そしてその瞬間何か異様な空気を感じ取った。
 (何・・・?人の気配ではない・・・何か。)
 は違和感を感じながら、それに誘われるように村の奥へと向かった。

 村の奥には小さな祠があり、重い空気はそこから流れてくるようだった。
 (この中に何かあるのかしら?でも入ってはいけないようだし・・・・・。)
 しばらくそこでウロウロしてみたものの、その謎は解けることもなく、
 仕方なくその場を後にする事にした。

 ――なんとも言えないあの異様さ・・・・・。
 それが何なのかは全く分からないが、あれ以上近づいてはいけないような・・・不思議な場所だった。

 村の中でふと宿が目に入ったが、のんびりしている暇はなかった。
 いつこの村ごと襲われるか分からない。
 (仕方ない・・・。もう少し東に向かってみるか。)
 はトトの村を後にし、疲れた体を無理やり引きずって歩き出した。


 









 トトの村を出てから2日程が経っていた。
 はあまり歩き回らず、じっと森に身を潜めていた。
 ほとんど睡眠をとる事もせず、ほとんど木の上で過ごしていた。
 (そろそろこの辺りを離れても大丈夫そうね。夜が明けたら南の方からラダトへ向かうか・・・。)
 追われてきた方角へと戻るわけにもいかず、唯一西へと向かうには南方にあるラダトを通る他なかった。
 しかしそれも敵は読んでいるだろうとも考えたが、このままここに居座るわけにもいかない。
 ラダトまでの道中を気をつければなんとかなるだろうとは考えていた。
 (よし、夜明け前まで少し寝るか。)
 流石に毎日同じ場所に留まるのは危険だろうと思い、少し移動してから程よい木を見つけ、
 そこを今晩の寝床とすることとした。
 (ちょっと細い木だなあ・・・。でも背丈もあるし、葉の数が多いから見つかりづらそうでいいわね。)
 はひょいひょいと木の上まで上り、横になれそうな場所に落ち着いた。

 「まるで猿の生活ね。」
 思わず口に出した本音は、笑いが混じる程の軽い冗談だった。
 そんな冗談を自分が言う度に、は自分が変わってきていることを実感していた。

 そして静かな夜の森の空気を感じながら、は静かに目を閉じた。















 「ビクトール、ハイランドが攻めてくるにはもう時間の問題だろう。
  そんな時期にあいつらをトトの村なんかに向かわせて大丈夫なのか?」
 「なあに心配はいらねえよ。リキマルとキニスンがついてんだからよ。
  おっと。シロもいたか。」
 
 「ん・・・・・・。」
 の眠っている木の下の方から声がしたような気がした。
 しかし連日あまり眠っていなかったせいか、は夢心地でそれを聞いていた。
 
 「それにあいつらはそんなやわじゃねえよ。それはお前も分かってんだろ?」
 「そりゃ・・・まあな。」
 「それより問題は兵の数だ。この数じゃあ到底ハイランドが攻めてきた時に太刀打ちできねえ。」

 「ハイランドっ!?」
 は、はっきりと聞こえたその名前に反応し、勢い良く身体を起こした。
 その瞬間身体を支えていたはずの枝が嫌な音を立てた。
 「っ!!」
 
 下にいる二人の男は頭上から聞こえた異様な音に反応し、腰にある剣を握る。
 「なんだ?」
 「ムクムクじゃねえか?」
 「お前・・・それがいつか命取りになるぞ。」
 「ははっ。そん時ゃそん時だよ。」
 その瞬間何本もの枝が折れる音がし、十何メートルもある木の上から何かが落ちてきた。
 そして鈍い音を立てて地にぶつかる。
 それは紛れもなく人間だった。
 「お、女!?」
 「おいっ、大丈夫か?」
 「フリック、あまり動かすなっ。身体を強く打って気を失ってる。すぐ砦に運ぶぞ!」
 「ああっ。」





 ――身体が浮いた気がした。
 でもそれは言う事を聞かなくて。
 人が来たということだけは分かっているのに。
 それがもし追手だったら――。




 「しに・・・・・た・・・・・・・・。」




 





 何故か青を見た気がした。


 


 それは木から落ちる時に見た青空だったのか。





 それとも――・・・・・・・・・。









 第1章 完