目の前の彼の色を見た瞬間、
自分が追われている立場だという事を鮮明に思い出した。
黒い髪に黒い服。
まるで昔の自分の生き写しのようだ。
は突如現れた男を目の前にし、不思議と冷静にそう思った。
「・・・・・・・何者・・。」
はそう呟いた瞬間、腰から剣を抜いた。
目の前の黒い男は、変わらずその眼鏡の奥の瞳を微かに細めている。
その様子に、は思わず背筋に冷たい汗を感じた。
――――――――この男は・・・・・。
そう。
果てしなく凍るような空気。
裏の裏で動く人間というのは、まさにこのような人間だ。
(・・・・・・怖い。)
素直にそう感じてしまう。
ルカ・ブライトとは違う恐ろしさを持つ男だった。
いつまでも無言のままの男に、は剣を構えた。
そしてようやく男が口を開く。
「貴女は・・・・・・ではないですか?」
「・・・・・っ?」
(私の名前を知っている・・・・。)
やはり追っ手なのか・・・。
そう解釈するのが一番妥当だろう。
自分の名を知っている者は、今になっては少なくないが、
このような男が自分の名前を知っているというのは、身に覚えの無い範囲だ。
(ようするに・・・・・・追っ手、という事。)
は無言で目の前の男を睨みつけ、剣を強く握り締めた。
それでも男は武器を構える様子もなく、それどころか口元に手を当てて笑い出した。
「・・くく・・・・。そうですか。やはり・・・・・。」
その笑いに、は更に冷や汗を流す。
―――――何を・・・・私の何を知っているというの・・・・・。
「失礼しました。非常に似ていらっしゃるので・・・・驚きました。」
彼の意図がよく分からない発言に、は嫌気とも言えるくらいに眉をひそめた。
「・・・・一体誰と似ているのか知らないけれど・・・。私を捕らえるつもり?それとも殺せと命でも受けたの?」
「いえ・・・。貴女は私のターゲットではありません。残念ですがね。」
「ターゲット・・?」
そんなの質問に答えるわけもなく、男は中指で軽く眼鏡を上げる。
「貴女とは一度はお手合わせ願いたかったのですがね・・・・。そんなモノでではなく・・・。」
構えたままのに対し、男は何をする様子もなく、ただ一人で残念そうにため息を吐いた。
(そんなモノ・・・・?)
恐らく今が握っている剣の事を指しているのだろう。
そうすると、の存在を知っている人間という事になる・・・・・。
「貴方は・・私を殺しに来たのではないの・・・?」
緊張が解かれる事もないままのの質問に、男は軽く笑みを浮かべた。
「ええ。今の私の目的は違いますからね・・・。」
「さっき私が誰かに似てるって言ったわよね・・・・。一体誰の事を言っているの?」
その質問に、今度は男は笑みを無くした。
が一瞬の瞬きをする。
その瞬きの瞬間で、目の前にいたはずの黒がいなくなっていた。
「!!??」
心臓がゾクリと震え、焦らぬようと頭で思っていながらも、目は焦って辺りを見渡す。
「そんな事では簡単に殺されてしまいますよ。」
「!!!!」
思わず息が止まる。
全く気配の無いまま、真後ろに立つ男に計り知れない恐怖を感じた。
男は音も無く笑いながら、の前にゆっくりと移動した。
距離は・・・・・・近い・・・。
男はその冷たい笑みとは相反する優しい手つきでの顎を持ち上げた。
剣が・・・・何故か振るえなかった。
男は顎に手を添えたまま、の顔を凝視していた。
そして、すっと目を細める。
「近くで見ると・・・・ますますお父様に似ていますね・・・・・。」
―――――――・・・!!??
その言葉がスイッチだったかのように、はとてつもない速さで剣を振り上げた。
しかし剣は空をきるだけで、男は既にから離れていた。
一振りしか動かしていないの身体は、何故か汗が流れ、呼吸が乱れていた。
「何故父の事を!?」
声を荒げずにはいられなかった。
「・・・・・私は貴女のさっきの質問に答えました・・・・。今度はこちらが質問する番です。」
その男はその無の表情を少しも動かすことなく、言葉を続けた。
「貴女は・・・何故このような場所にいるんです・・・・?」
「え・・・?」
相変わらず意図の読めない内容に、が疑問の表情を浮かべる。
「貴女はそれだけの力を持って、何故このような場所で浮ついた事をしているんですか?」
「・・・・・・?」
―――――――浮ついた事・・・・?
自分は一度ハイランドという母国を捨て、ビクトール達のいる場所へと身をおいた。
しかしそれも間もなくして、乱戦の中彼らのもとから去る事になり・・・・・、
今はジョウイと共にいる事を誓った・・・・・・・・。
それが・・・・・・・・・・
「浮ついた事・・・・?」
何を・・・・・この男は何を言っているのだろう。
それでは、私に何をしろと言うのだ・・・・・・・・・・・。
は男の瞳を見つめる。
まるで・・・何か誘っているようなその瞳に、今までにない恐怖を覚えた。
冷たい沈黙ばしばらく続いた後、森の中で銃声が聞こえた。
「!」
(エルザさん・・・・!?)
よく耳を澄ましてみると、獣のような呻き声も聞こえてくる。
「・・・ナッシュ。」
思わずがその名を呼ぶと、目の前の男と目が合った。
先ほどのような怪しげな瞳ではなかったが・・・・・、なんとも言えない黒の瞳とぶつかる。
笑っているようにも・・見えた・・・・・・・。
今すぐにでも二人の下へ駆けつけたい衝動を抑えながら、
ここから動けない苛立ちには唇をかみ締めた。
その時・・・何故か急に足の力が抜け、膝ががくがくと笑い始めた。
「な・・・に・・・?」
その震えは手にも走り、ガシャンと音をたてて重い剣が地へと落ちた。
は立っているのがやっとで、
この震えの原因を知っているであろう目の前の男を精一杯の力で睨みつけた。
男はゆっくりと此方へと再度近づいてくる。
「お楽しみを邪魔されてはつまらないのでね・・・・。
それに、あんな事でもしも貴女が死んでしまったら・・・――――」
男は震えながら立っているの目の前まで近寄り、
意識が無くなりながら倒れ行く身体を支えた。
「つまらないじゃないですか・・・・。」
は瞼が落ちていく中、その男が小さく笑うのを聞いた。
誰・・・・・・・・・・?
こっちに向かって手を振っているのは・・・・・・。
「とうさまーっ。」
ああ・・・・・父様だ・・・・・・。
こんなに優しい笑顔の父様を見るのは・・初めてね。
「まってっ。まって!とうさまっ。」
待って・・・・・、待って!父様!!行かないで!!
私・・・・・母様を・・・・母様を・・・!
「待って!!!」
そう叫んでは一人目を覚ました。
「・・・っ!?」
身体には汗がじっとりと張り付いている。
辺りを見渡すと、先ほどの崖のようだ。
自分の身体を確認するが、傷一つ付けられていなかった。
「あの男は・・・・一体・・。」
私を知る人。
父を知る人。
そして・・・・私の知らない父を知る人。
はまだ痺れの残る手を握り締めた。
「・・・・ッく。」
そして先程、森で銃声が聞こえたのを思い出す。
「―――!!」
勢いよく立ち上がり、思わず森の方へと振り返る。
集中して辺りの様子を伺ってみるが、しんと静まり返った森は静かに眠っているようだった。
ふと火薬の匂いが鼻をついた。
思わず後ろを振り返るが、誰もいることもなくただ崖が見えるだけだ。
しかしよくよく見てみると、少し離れた場所に戦った痕跡がいくつかあった。
その近くへと近づき、その痕跡を確認する。
「・・・・・か!?」
「!!!」
突如崖の下の方から聞こえた声にはびくりと肩を揺らした。
「ここだ!ここ!!」
「ナッシュ!?」
が驚きながら崖の下を覗くと、
崖の上に引っ掛けさせたワイヤーからぶら下がったナッシュとエルザがそこにいた。
「ど、どうしてそんな所に!?」
「獣の紋章の化身と戦ってこんな状態になっちゃってさ・・・。」
「獣の紋章!?どうしてその化身がこんな所に・・・っ。」
「まあ、ヤツは倒せたから良かったんだけどさ・・・、って、・・・・?」
「何?」
ナッシュは辛そうにエルザを抱えたまま、ゆっくりと頭上にいると目を合わせた。
「引っ張り上げてくれないか・・・?」
「あ。」
焦っていたのか、はようやく今になって現状を理解した。
このまま放って置けば、ナッシュの力が絶えて二人は谷底に落ちるだろう。
「ご、ごめんごめん!」
は慌ててワイヤーを引き上げた。
先にエルザがナッシュの肩に足をかけ、ひょいと身軽に崖の上へと登った。
次にようやくナッシュが這い蹲るように登ってきた。
「・・・・ふーっ・・・・。」
辛そうに呼吸を繰り返しながら、ナッシュはワイヤーを握っていた方の腕をぐるぐると回していた。
「助かったよ。」
エルザが撃った分の弾をガンに詰め込みながら、に礼を言った。
はその動作に少し心臓が震えたが、なるべく気にしないよう頷いた。
「それにしても、どうして獣の紋章が・・?」
が眉を寄せながらナッシュへと問いかける。
ナッシュはもう片方のエルザを抱えていた方の腕を回しながら、うーん、と首をかしげた。
「恐らくルカ・ブライトが宿して利用したんだろうな。
今回俺達に使ったのは試作品ってとこかもな。」
「試作品・・・って・・・。」
が口を開けたまま呆けていると、エルザが弾を詰め終わったのか二つのガンを腰に納めた。
「私はそろそろ行くよ。」
その言葉に慌ててとナッシュが立ち上がる。
「あ、ありがとうございました。」
は何故か礼を口にした。
エルザはそれを不思議がる事も、拒否をすることも無く静かに笑った。
そしてナッシュは多くの言葉を語ることも無く、ただ一言別れの言葉を口にした。
「じゃあな。」
「ああ。」
そしてエルザが一歩踏み出し、達に背を向けようとしたとき、
もう一度此方を向いて足を止めた。
がきょとんと彼女を見つめていると、エルザはしばらくその美しい顔をこちらに向け、
最後にナッシュへと視線を移した。
「ナッシュ。」
「なんだ?」
そしてその痛々しくも美しい傷を緩め、彼女らしく微笑みながら口を開いた。
「私の旅は結局『死』に向かっている。だけど、あんたは違う。
あんたの旅は『生』に向かうといいさ。」
エルザはそう言い、ナッシュの続く言葉を聞くことも無く去っていった。
は彼女が見えなくなるまで見つめ続け、
ナッシュも同じようにエルザの背中を見つめていた。
「よし。俺も行くかな。」
「あ・・・。」
は、ハッと我に返ったようにナッシュへと視線を移す。
(そうか・・・私とナッシュもこれでお別れか・・・・。)
少し寂しい感じもするが、最終的な目的は違うのだ。
仕方の無い事である。
「俺はこれからこの森を抜けてグリンヒルに行くんだけど、はどうするんだ?」
「え・・・?」
は少し拍子の抜けた声をだした。
「ナッシュ・・獣の紋章を調べに行ったりしないの?」
「あー・・・あの化身がいたって事は、もう完璧にルカ・ブライトが獣の紋章を宿したことになるだろ?
獣が獣を身に付けたんだ。流石にそこへ足を突っ込むほど馬鹿じゃないさ。
それに今は王国兵に追われてる身だしな。化身の金狼もまだいるかもしれない。
この森を抜けるのが先決さ。」
「そ・・・か。」
「で、はどうするんだ?」
「あ・・・、私も、グリンヒルに向かう所だったの。」
の小さな呟きに、ナッシュはぱっと顔を上げた。
「本当か?・・・・あー、でも俺と一緒じゃ危ないかもな。」
明るかった顔を一変させ、ナッシュは緑の瞳を空へと向けて頭をかいていた。
「ううん。どうせ私も追われてる身だもの。危ないのはお互い様よ。
だったら、追われる者が一人だろうが二人だろうが同じじゃない?」
は以前無かったような人懐っこい笑顔をナッシュに向ける。
ナッシュは「いや、どう考えても同じじゃないだろ。」と言いたいところを我慢し、
「そうか。」と、正直嬉しい気持ちでいっぱいの笑顔をに向けた。
再び共にする短い旅が始まった。
ナッシュはグリンヒルの方向を一人で黙々と確認しているを
目を細めて見つめていた。
「あ・・・、もう陽が登っちゃって来たね。急ごうかナッシュ。」
そして、森で昔話を終えた後、エルザと話した内容を思い出す。
―――――――「ナッシュ・・・・。あの子・・・似てるんだよ。」
「ナッシュ?」
―――――――「昔・・・まだ私達が子どもだった頃組合にいた・・・・――――」
「ああ。今行くよ。」
―――――――「”騎士級”ガンナーだった男に・・・・・。」
どこの糸が
どこでほつれたのか・・・・・・・・。
そのほつれを解くのは・・・・俺なのか?
その解きが・・・・・・
ただ糸を切ってしまう残酷なものかもしれないのに・・・・・・・・。
