ナッシュに抱きしめられていると、あの雨の日を思い出す。

 ミューズで別れたあの日。



 道具屋の、古い屋根に当たる雨の音が
 痛いくらい耳に刺さっていた。




















 ―――――「俺とミューズを出よう。」





 自分を戦場に行かせないためにそう言ってくれた言葉が・・・・・・今でも雨音と共に耳に染み付いていた。





















 「ナッシュ?」
 ナッシュは無言のまま、あの日と同じように強くを抱きしめていた。

 「本当に・・・・・無事でよかった。」

 安堵感に満ちたその声が、どれだけ本気でそう言っているかを物語っている。
 はふと笑みを浮かべ、ナッシュの胸に埋もれた顔を微かに動かして頷いた。
 「うん・・・・。心配かけて・・ごめんね。」
 (本当に心配してくれてたんだ・・・・・。)
 が微かに身体を動かすと、先ほどは離せと言われても離れなかったその腕が、
 何故か勢いよく急に離れた。
 が少し不思議そうな瞳をナッシュに向けると、ナッシュは何故か離した腕を無造作に動かした。
 「あ。悪い。いや。ああ。無事で良かった・・・・。」
 「? うん。ナッシュも無事で良かったわ。」
 が不思議がりながらもそう言って笑みを浮かべると、ナッシュは動いていた腕を止め、
 目を細めてを見つめた。

 「・・・・。」

 「ん?」
 ナッシュは自ら呼びかけたものの、一度から瞳を離し、何度か口を開こうとしては閉じた。
 そして再度を見つめ、確実に何かを口にしようとした。




 「イイところ邪魔するよ。」




 「!!??」
 とナッシュが同時に声のする方へと視線を向ける。
 二人から少し離れた森の中に、一人の女性が立っていた。
 は微かに眉をひそめ、そのはっきりと見えない人物を捕らえようと試みる。
 一方ナッシュはすぐに相手を確認したのか、目を見開き口も開きっぱなしだ。

 「エルザ・・・。」

 その開いたままの口から出た言葉は、おそらくその人物の・・・彼女の名前だろう。
 はナッシュの言葉に、一瞬彼へと視線を送るが、すぐさま再度彼女へと視線を戻した。
 ほんの少し視線を逸らしただけなのに、彼女は音もなくすぐ近くまで移動していた。
 エルザと呼ばれたその女性は、ナッシュとは少し違う金の髪。
 そして美しい肌とは相違う頬の大きな傷。
 鋭い瞳・・・・・。まるで狙ったものは逃さないような・・・・・・・。
 (恐ろしさの中に、どこか不思議と優しさが見えてくるような・・・。不思議なひと・・・。)
 がそんな事を考えながらエルザを見つめていると、
 近くまで来た彼女はを見つめて微かに微笑み、こちらを見つめたままナッシュに話しかける。
 「しばらく見ない間に女を連れて歩くようになったとはね。」
 先ほどまで不思議な緊張の空気を出していたナッシュは、その一言で表情を緩めてため息を吐いた。
 「まあね。」
 まあね。と簡単に答えたナッシュに、は驚いて視線だけの抗議を彼に向けた。
 「ふふ・・・。彼女はそうでもないみたいだよ・・・?」
 「ったく・・・・茶々入れに来たのかよ。」
 ナッシュが腰に手をあて、エルザに悪態をつくと、彼女は一変して表情を変えた。


 「・・・・・あんたを始末しておこうかと思ってね。」
 

 はその言葉に素早く一歩後ろへ下がり、腰の剣へと手を当てた。
 当のナッシュは腰に手をあてたまま、エルザをみつめている。
 「おいおい、冗談はよせよ。俺もお前も今は組合からは睨まれてる身だろ。」

 (組合・・・?)
 はナッシュのある一言に引っかかりを感じたが、二人は話を進めていく。

 「あんたの才能は組合でも一目置かれていた・・・。ナッシュ。あんたが追跡者っていう可能性も無くはないだろう?」
 先ほどから微笑を浮かべるエルザとは対照的に、ナッシュもようやくその笑顔をやめた。
 「俺があんたに勝てた事なんてなかっただろう。そんな奴を追跡者にすると思うか?」
 「さぁ・・・ね。」
 エルザははっきりとした答えを出さず、戦闘態勢の構えに入る。
 剣を握るの手に力が入る。
 エルザが素早くその真っ白なマントから両腕を出した瞬間、信じられないものが彼女の両手には握られていた。

 「ガン・・・・!?」

 思わずその物の名を口にした
 驚くのも無理は無い。
 そう簡単に手に入る武器ではないはずだ。ましてや二つも・・・・・・・。
 それも見たところ、普通のガンではなさそうだ。
 (まさか・・・・ほえ猛る声!?・・・・という事は・・・・。)
 は目線だけをナッシュに向ける。
 先ほどの会話を考えても、エルザとナッシュが昔組合に入っていた事がはっきりわかる。
 (ナッシュが・・・・・。)
 
 「いいところを邪魔した上に、そんなもんまで向けるなんてなぁ。昔のよしみだろ?」
 「昔・・・・・・ね。」
 エルザは一向にガンを下げる様子はない。
 (本気・・・・・・・・・?)
 はごくりと喉を鳴らす。そして足の中に忍ばせていたの片方が頭を過ぎった。
 相手は恐らく、組合で言う”騎士級”のガンナーだ。
 自分が剣を振り回して相手に出来るような存在ではない。
 ふとナッシュの立ち方に違和感を感じた。
 (? ・・・・・!!)
 よく見ると、王国兵の誰かに切りつけられたのか右足を負傷していた。
 (いや・・・ナッシュぐらいの人がそう簡単に王国兵にやられるとは思えない・・・・。)
 そう考えると、ナッシュの足に怪我を負わせた相手は限られてくる。




 クルガンか・・・・・・・・・・。


 あるいは――――――・・・・・・・。




 は唇をかみ締め、再度エルザへと視線を戻した。




 を・・・・・・使うか・・・・・・・・・。




 変わらずナッシュとに銃口を向けたまま、エルザはナッシュと無言で視線を交わしていた。

 (今なら・・・まだ間に合う・・・・・。)
 は汗で剣に張り付いた手をゆっくりと離し、へと少しずつ近づけていく。






 指先にを感じた。






















 その瞬間、辺りが一瞬にして光に包まれた。

 「!!!」







 恐らくナッシュが閃光弾を放ったのだろう。
 は思いもよらなかった出来事に、目を瞑るのが遅れてしまった。
 「・・・・っ。」
 目を凝らして辺りを確認しようとしたとき、身体が勢いよく浮き上がった。
 「!!」
 「悪いな。少し我慢してくれよ。」
 ナッシュはの身体を抱きかかえ、森の中へと走っていく。
 「ナッシュ!貴方足がっ!」
 「っと・・・気づかれたか。大丈夫だ。を抱き上げるくらい・・・―――――!!」
 一瞬にして発せられ、消えていく銃声と共にナッシュは顔を歪めた。
 「ナッシュ!!??」
 「大丈夫・・・・・腕を掠っただけだ。」
 「降ろして!私が彼女と戦うから、その間に貴方は逃げて!!!」
 大声で訴えるに、ナッシュは驚きで瞳を見開いた。
 「・・・そんな事できるかっ。」
 「だってこの前は私が逃がしてもらったんだもの!!今度は私が―――――!!」
 再度銃声が響く。
 運が良かったのか、にもナッシュにも当たらずに終わった。
 しかし、ナッシュが走っている方向の、頭上からエルザが突如現れた。
 「!!」
 エルザは身軽に地上へと着陸し、握ったままのガンをこちらへと向けた。
 「鬼ごっこは終わりだよ。・・・決着を付けよう。」
 「・・・・・・・・・さぁ。それはどうかな。」
 「・・・?」
 どう見ても追い詰められたはずのナッシュが、余裕の笑みを浮かべている。
 これに流石のエルザも眉をひそめる。
 そして辺りに散られている何かに気づき、彼女は瞳を見開いた。
 「まさか・・・。」
 「え・・・?」
 もようやくその存在を見つめ、辺りに散らばり光を輝かせているそれの正体に気づく。
 慌てて近くにあるナッシュの顔を見つめた。
 ナッシュはにやりと口の端を上げていた。
 「この粉は誘爆性の高い爆薬と、発火性の粒子を混ぜたものだ。少しでも火の気があれば、
  ドカン。・・・お前も俺達も吹き飛ぶってわけさ。」
 「・・・・ふふ・・・。どうやら腕を上げたようだね。」
 エルザはそう笑うと、ようやく銃口をこちらから外した。
 「何言ってんだよ。どうせ始めから本気じゃなかったんだろ?」
 「・・本気じゃなかった?」
 ナッシュの意外な言葉に、今まで口を紡いでいたが疑問の言葉を発した。
 「ああ。こいつは2度も発砲している。いくら閃光弾が放たれたからといって的を外すとは思えないからな。」
 がポカンと口を開いて、エルザの方を見る。
 そんな状態のと目の合った彼女は軽く笑っていた。
 「でもナッシュ、あんたが腑抜けになっていたら・・どうなっていたかは知らないよ。」
 笑みを浮かべながら発せられるその発言に、ナッシュは上げていた口の端をひくひくと動かした。
 「・・・・・マジかよ。」

 「それで、あんた達はいつまでそうやってるつもりだい。」

 エルザの言葉に、とナッシュは思わず見つめ合う。
 は未だにナッシュに抱きかかえられたままだ。

 「!!!ナッ・・・ナッシュ!は、早く降ろしてっ!」

 すかさずジタバタと暴れるに、ナッシュは少し分の悪そうな表情をしてから、
 ようやくの身体を降ろした。
 「あ、そうだわ。エルザさん、もう陽が落ちるし今夜はご一緒しませんか。」
 「え!?」
 突然のの提案に、ナッシュは体を後退させた。
 「いいじゃない。だってナッシュのせいで近くに王国兵がうじゃうじゃいるんだもの。
  こういう時一人でも多い方が安全でしょう?」
 「あ・・・いや。そうだけど・・・。」
 自分のせいと棚に上げられて文句の言えなくなっているナッシュを尻目に、
 エルザは自らの荷物を持ち上げていた。
 「・・・・・・本気かよ。」
 「何か文句あるのかい。」
 「いえ。」
 そしてとエルザが寝床に良い場所を探しながら歩き出す。
 「本当にとんだ邪魔者だな・・・・。」
 ナッシュは一つため息を吐き、それでも表情に笑みを浮かべながら、彼女達の後を追った。


























 「あー美味しかったー。」
 はナッシュの作ったシチューと、酒に舌鼓。
 久しぶりのまともな食事に、満足気にお腹をさする。
 「、しばらく見ないうちに大食いになったな。」
 ナッシュが笑いながら酒を口に運ぶ。
 「し、失礼ね。それでも太ったってわけじゃないのよ!」
 焚き火を3人で囲みながら、笑いの耐えない話をする。
 エルザは酒はいらないと言い、自分の持っていたコーヒーを飲んでいた。
 焚き火で揺らめくその美しい肌に、痛々しく目に入る大きな傷跡。
 思わず彼女の不思議な容姿に凝視してしまい、目が合った時には既にかわす事は出来なかった。
 「あんたは・・・剣だけを使うのかい?」
 笑みを浮かべながら、エルザはナッシュが以前してきた、するどい質問をした。
 「あ・・・・・。」
 「いや、少し気になっただけだよ。別に無理に話す事はない。」
 「・・・・・。」
 の表情を読み取ったのか、それ以上エルザはその事を聞いて来る事はなかった。
 そして自然と他の会話を始めてくれた。
 「それにしてもナッシュ。あんた相変わらず味付けが濃いね。」
 「んー?俺はサービス精神旺盛なんだよ。」
 それまで無言でとエルザの会話を聞きながら火の番をしていたナッシュが
 枝で炎の中の木を突きながらそう答えた。
 「はは・・本当に変わらないね。あんたは・・・・・・・・・。」
 エルザが笑いながら、コーヒーを自分のカップに継ぎ足す。
 ナッシュも笑みを浮かべ、酒瓶を持ち上げてのグラスに継ぎ足そうとした。
 はコップに手で蓋をし、首を横に振った。
 「あ、私もういいわ。少しそっちで酔い覚まししてくるわね。」
 急に立ち上がるに、ナッシュは少し驚いたのか、きょとんとこちらを見つめている。
 「大丈夫っ、すぐ戻るから。」
 「あ!おい、!」
 は振り返ることもなく、そこから逃げるように足早に去った。

 もう一度ナッシュに呼ばれた気がしたが、
 戻る事はなかった。










 残された二人の間に沈黙が走り、唯一蠢いている炎だけがパチパチと音をたてていた。
 思わず立ち上がったナッシュは、姿の見えなくなったを未だに見ていた。
 エルザはそんなナッシュを見つめ、ふと笑いを零す。
 「大丈夫だよ。あの子は強い。そう簡単にやられたりはしないさ。」
 「・・・・ああ。」
 ナッシュはため息を吐き、どさりとその場に座り込んだ。
 しばらく二人で目の前の炎を見つめた後、
 先にその沈黙を破ったのはエルザだった。



 「あの子は・・・・・・・・・・ガンナーかい・・?」



 「・・・・・・・・・・・。」
 



 再び沈黙が訪れる。
 ナッシュは手に持った酒をそのままに、ずっと口をつけないまま黙っていた。

 そして、ようやく口を開く。




 「わからない・・・・・・・・。」





 「・・・・そうか。」
 エルザはそう一言いい、マントの中にある自分のガン『シュテルン』と『モーント』を握りしめる。
 そして苦笑を漏らし、そこから手を離した。
 「あの子は・・・強くて弱い。」
 「・・・ああ。」
 ナッシュはちらりとの去った方へと視線を送る。
 もちろんが戻ってくるはずもなく・・・・目の中に広がるのは、月の光を浴びながら並ぶ木々だけだった。
 そんな空虚を見つめながら、ナッシュがふと口を開いた。
 「なぁ・・・・。」
 「ん・・?」
 「あの事件は・・・本当にお前が・・・・・・?」
 「・・・・・・・・・。」


 大きな音をたてて火の粉が飛んだ。



























 は何故か勢いで走り続け、森を抜ける場所まで来ていた。
 「はぁ・・・はぁ・・・・こんな所まで来ちゃった・・・・。」
 (やっぱり久しぶりに出会った仲間だもの。昔の話とかしたいわよね、きっと・・・・。)
 知らないナッシュの頃の話を、自分がいるという事で止めさせたくなかった。
 不器用ながらにも、は気を使ったのだ。
 思わずエルザの顔が頭を過ぎる。

 自分と同じ、二つのガンを操る女性。

 本当は彼女がどんな気持ちであのような武器を使っているのか、
 今までどんな気持ちでやってきたのか・・・・・。

 「少し、聞いてみたかったかな。」

 今度機会があったら聞いてみよう。
 ナッシュには秘密で、自分も同じ武器を扱う者だという事を打ち明けて・・・・・。

 そんな事を考えていると、完全に森を抜けて崖へとたどり着いていた。
 唯一反対側へと渡る橋は落とされていた。
 (グリンヒルの方向だわ。これなら遠回りして行くしかないようね・・・・。)
 は谷底を覗き込んでため息を吐いた。

 その時、足元の自分の影ともう一つの影が重なった。

























 全く気配がしなかった。























 「こんばんは・・・・。」


























 「・・・・・誰?」
































 突如現れた黒髪の青年は、その眼鏡の奥で不適な笑みを浮かべた。