どうしてこんなにも人間の生き方というのは複雑なのだろう。
動物のように、本能のままに動けたら――――
私はこれからの道をこんなに迷うことはなかっただろう。
だけど、その迷いが訪れるのは戦いの後の話だ・・・・・・・・・・・。
は口を手で覆ったまま動けないでいた。
目は見開いたままだが、ジョウイの方は見れないでいた。
見なくても分かる・・・・。
ジョウイは強い眼差しで、驚きの表情で自分を見ているだろう。
「さん・・・・・まさか・・・・・。」
耐え切れなくなったは、無意識にその瞳を強く閉じた。
「・・・・・・・・・。」
ジョウイのその一言を最後に、二人の間には長い沈黙が続いた。
先ほど感じていた、ジョウイを支えたいという暖かな気持ちを遥かに上回った焦りの気持ちは、
の頬を雨ではない、冷たい汗を流れさせた。
そして思いが駆け巡る・・・・・。
――――――もうここには居る事はできないかもしれない。
自分がハイランドの人間だと知られれば、都市同盟の仲間達の中に『疑い』という亀裂が走る。
もし、フリックやビクトールたちが自分を信じてここにいても良いと言ってくれても、
周りはそうはいかないだろう。
ましてややナナミちゃん・・・・・・・ピリカちゃん・・・・。
そしてこの目の前にいるジョウイには尚更が黒い存在に見えるはず。
幼い彼らから見た自分が、どう映るかなんてはっきりしていた。
(何か・・・何か言って・・・ジョウイ・・・・・・。)
強い視線と、苦しい沈黙には息が出来なかった。
自分から口を開くなんて事は出来ず、ただジョウイの言葉を祈るような気持ちで待った。
「・・・さんは・・・・・ハイランドの人間なんですか・・・・・・?」
――――――――そう。
「・・・・・・・・・ええ。」
――――――――ごめんなさい・・・・・。
「何故・・・・都市同盟に?」
――――――――私は・・・あなた達を殺そうとしていた人間・・・・・。
「ハイランドから・・・・逃げて・・きたの。」
「逃げて、来た・・・?」
本当の事を言おう。
彼にはそれを言わなければいけない。
そう思った・・・・・・・・・。
「私は―――――」
「僕も・・・・・ハイランドの人間でした。」
「え?」
ジョウイの言葉に、今まで合わせられなかった瞳を合わす。
その事はもう、砦で初めて出会った時に教えてもらっていた。
それをジョウイも覚えているはず・・・・。
「でも・・今はそのハイランドに裏切られて・・・・ここに、居ます。
さんも逃げてきたという事は・・・・何かあってここに来たんじゃないですか?」
「・・・ええ・・・・・・。」
――――あなた達を殺せと命じられて・・・・・・出来なかった。
逃げ出した。そしてここへたどり着いた・・・・・・・・・。
そう言えば、楽にもなり、苦しくもなるだろう。
その言葉をいつ出そうかと、は息を飲み込んだ。
「僕は、故郷の事は・・今でも守りたいと思っています。
だけど・・・それ以上に守りたいものもあります。」
少し前の苦しそうな瞳とは違い、ジョウイの目には先程と同じものが違うように映っているようだった。
「とナナミちゃん・・・そしてピリカちゃんね・・・?」
「・・・・はい。」
視線を合わせながら、ジョウイは口元に笑みを浮かべて頷いた。
その瞳なら、もう安心できる。
も目をいっぱいに細くして微笑み、濡れて頬に張り付いた髪をよけ、
息を大きく吸い込んで立ち上がった。
「さあ、帰りましょう?帰って着替えをして、すぐに準備をしなくちゃ!」
急に立ち上がったを一瞬驚いた表情で見ていたジョウイは、
すぐにまた笑みを浮かべ、ずっと座り込んでいたベンチから腰を上げた。
「はいっ。」
まだ・・・・・・・・・・言わなくてもいい。
もう少し。
もう少しだけ・・・・・・・・。
この時私は、自分の事を聞いてこないジョウイに、少しだけ甘えていたのかもしれない。
既に雨はやみ、月の光が雲の隙間から差し込んでいた。
まるで希望の光のように・・・・・・・・・。
ずぶ濡れのまま帰ってきた達を見て、すぐにレオナが湯を張ってくれた。
何度も断ったのだが、先に入れとジョウイが強く押してくるものだから、
ありがたく先に入らせてもらうことにした。
久しぶりの風呂だが、そうのんびりもしていられない。
これから戦いが待っているのだ。
はある程度体が温まってから、早々と湯を後にした。
風呂場を出た時、濡れたままのジョウイとばったり出くわした。
その体温の差に、思わず謝罪の言葉が出る。
「ごめんねジョウイ。先に入らせてもらって・・・。」
「いいんです。あんなにあそこに長居させてしまったのは僕ですし・・。」
優しく笑う、その青い顔には思わず両手を伸ばす。
ジョウイは突然の事に驚き、肩を上げて身じろいだ。
「でも・・ごめんね・・・・こんなに冷たいのに。早く温まってね。」
「あ、は、はい・・・・。」
両手でその白く細い頬を包むと、ジョウイは頬を少しだけ上気させ体温をあげたようだった。
「おいおい。その辺にしといてやれよ。」
廊下の先で声をかけてきたのはビクトールだった。
ニヤニヤ・・というよりも、少し呆れたような笑みを浮かべため息を吐いていた。
よく分からないその雰囲気に、は眉を寄せる。
「別に私何もしてないわよ?」
「そうかぁ〜?」
「あ、あの・・僕風呂に入ってきます。」
「あっ、ごめんね!止めちゃって。気にせず行って?」
「はい。」
ジョウイはビクトールに少し会釈をしてから扉を閉めた。
それを見送ったは、ビクトールへと向き直り先程より更に眉間を絞らせた。
「私、何もしてないわよ?」
「ああ分かった分かった。ったく、周りの男共の気苦労が知れるな。」
腰に手をあて、再度ため息を吐くビクトールに、が会話を変えようと話しかける。
「それより、フリックどこにいるか知ってる?」
その名を聞き、今度はいつものニヤリとした笑みをビクトールは浮かべた。
「ああ、フリックのやつなら自分の部屋で戦いの準備してるぜ。」
ビクトールの笑みが急にいつものに変わったのが少し気になったが、
とにかく今は早くフリックの元へ行こうと、は足を進めた。
「ありがとう。」
そう言いながらビクトールとすれ違う。
ああ。と笑いながら答えたビクトールに、背中を向けたままもう一度話しかけた。
「ビクトール。」
「あ?なんだ?」
ビクトールがこちらを振り向く気配がした。
しかしは、その顔を見る事のないまま口を開いた。
「ビクトールは・・・力が欲しいと思ったことはある?」
素直に聞きたかったことだった。
「・・・そうだな。」
少し考えるような声を出し、一間置いてからビクトールがその答えを出した。
「まあ何かを失った時は、死ぬほど力が欲しいと思う事もあったさ。」
「今は・・・?」
「今か?」
質問を返してくるその言葉に、は振り向きその瞳と視線を合わせた。
「今も、力が欲しいと思う?」
「・・お前どうしたんだ?今日はいつもよりかなり口数が多いじゃねぇか。」
「別に、いつもと同じよ。ただ、聞きたかっただけ・・・・・。」
短く「そうか」とビクトールは答えると少しから瞳を逸らし、また考えるように一間置いた。
「欲しくないと言えば、嘘になるかもしれねぇな。」
「・・・・そう。」
――――――やはり戦う人間というのは、どこかで果てしない『力』を求めてしまうものなのだろうか・・・・。
そうだとしたら、人間というのは・・・・・なんて貪欲な生き物なのだろう。
その力を手にした者を目の当たりにした人間は、更なる力を欲する。
・・・・・・・・・ひどく醜い・・・生き物だ。
「。」
「えっ・・?」
「別に俺は完璧な力が欲しいとかじゃねぇ。
自分と、自分が守ろうと思ったものを守れればそれだけで十分だ。」
「そう・・よね。」
どこかビクトールの答えに空ろなに、ビクトールは少し近寄ってから
廊下の壁にその大きな体を預けた。
「昔・・・っつってもまあ何年か前の話だけどよ。
俺の仲間で真の紋章をつけたやつがいたんだ。」
「真の紋章・・・。」
何度も父から聞いたことはある。
流石に実物を見たことは無いが、その恐ろしいほどの威力は話を聞いているだけで身震いがするほどだった。
確か・・・ハルモニアが真の紋章を集めていると聞いた事もあった。
ビクトールは壁にもたれながら、廊下にぼんやりと灯るそれを見つめ話の続きを始めた。
「その真の紋章が絡んで戦争が起きたりもした・・そしてそいつの大事なやつらもそんな中死んだりもした。」
は俯き、無意識に右手で自分の体を抱きしめた。
「その紋章に何人ものやつらが飲み込まれていったさ。
だけどな、そんな紋章を持ったそいつがずっと不幸だったとは限らねぇ。」
「どう・・して?」
「ま、その辺は本人に聞かないとわかんねぇけどよ。
少なくとも、俺は不幸だ!っつー顔はしてなかったぜ。」
「・・・・・・・・。」
分からない。
ビクトールが何を言いたいのか。
何故その人が不幸だと言い切れないのかも・・・・・・・。
「分からない・・・・。」
ビクトールは、視線を落としながら答えるの頭を笑いながらわしわしと撫でた。
まだ濡れているその髪から、少しだけ雫が落ちる。
「まあ力の全部が悪ってわけじゃないっつー事だ。」
その言葉にが勢いよく顔を上げる。
間近にある強い瞳と視線がぶつかった・・・・・。
「・・・・うん。ありがとう・・・。」
「はははっ。いつもそれくらい素直だったら可愛げあんのによ。」
「もうっ・・・。」
ビクトールが歯を見せてニカっと笑う。
「ん?そういやお前、フリックに用事じゃなかったのか?」
「あ!そうだった!」
「おいおい忘れんなよ。
・・・さっきの話、しにいくだろ?」
笑いながらも、真剣な瞳でビクトールはこちらを見つめてくる。
――――さっきの話。
フリックに反対されて、喧嘩のような状態で宿を出てしまったため
はっきり終わる事ができないままだった。
「うん・・・。」
「お前が俺らと一緒に戦いたいっていう気持ちは嬉しいぜ。くらいのヤツが戦場に来てくれれば助かるしな。
けどよ、まあフリックの気持ちも分かってやれよ?」
「うん、分かってる・・。フリックも私の事を考えて言ってくれてるんだもの。」
素直に頷くに、ビクトールは満足気に笑い
今度は頭をぽんぽんと軽く叩いてきた。
「おし。なら行って話してこい。」
「・・・うんっ。ありがとう、ビクトール。」
背中を優しく押してくれたビクトールに笑顔を向け、
はフリックの部屋へと向かった。
足早に去っていった廊下に、かすかにの香りが残った。
不意打ちに流れてきたその甘い匂いに、
ビクトールが目をぱちくりとさせる。
「おいおい・・・それはやべぇだろ。」
まるで邪念を振り払うかのように、頭を掻くビクトールが一人そこにいた。
軋む階段を上がり、フリックが泊まっている部屋の扉を数回叩いた。
「フリック?私。」
言葉を発した直後、中で何かを派手に落とす音が響いた。
「か!?」
その扉越しとは思えないくらいの声の大きさに、
が驚く間もなくその扉が音をたてて勢いよく開かれた。
突然目の前に現れたフリックに少し驚きながらも、は少し気恥ずかしそうに笑ってみせる。
フリックはというと、突然現れた風呂上りのに驚いているようだったが・・・・・。
もちろん、当の本人はそんな事もおかまいなしのようだった。
「ちょっと、入っていい?」
と、そんな事を発言しながら・・・・・・・。
招き入れるフリックの声が少し上ずったのは、言うまでも無い。
