追手が現れる様子は全くといっていい程みられなかった。

 裏切り者がまさかハイランド国内でぶらぶらしているとは思いにもよらないだろう。

 見つからずあきらめた・・・・・ということはないだろうが。











 は小さな川べりで食事をとっていた。
 とは言っても、ハイランドから出てきたときに持ち合わせていたものはもう全て食べてしまい、
 森で見つけた木の実や、川で泳いでいる魚を捕まえてそれを食料としていた。
 (若い女の人がやることじゃないわよねぇ・・・。)
 の顔には、ふっとため息を吐きながらも笑みができていた。
 「さてっ。そろそろ行くかな。」
 が立ち上がり、方角を調べていると、何かの気配を感じた。
 (・・・・ついに追手が・・・?でも殺気を感じない・・・・。)
 辺りを見渡すが、隠れられるような場所もなく、唯一身を隠せるであろう森の方から気配を感じるため、
 そちら側にむやみに行くわけにはいかなかった。
 息を潜め、こちら側へ向かってくる気配に集中し、腰の剣を握る。
 (来る!!)
 身を構えた瞬間、橙色の鳥が勢いよく飛んできた。
 「鳥!?」
 一瞬その鳥に気を取られたが、次に向かってくる気配をは逃さなかった。
 その鳥が出てきたところから一人の男が飛び出てきた。
 「おい!!ドミンゲス!!早く支給金をよこせ!!!」
 そう叫びながら、飛び出たところにがいたことに気づいた男はぴたりと身体を止めた。
 「っと!悪い!驚かせた・・・・みたいだな。」
 その男はが剣を今にでも抜くような体制を見て申し訳なさそうに侘びの言葉を出した。
 「大丈夫です。あの・・・それより・・・・鳥、いいんですか?」
 「え?・・・・あぁ!!!」
 がもう彼方へと飛んでいってしまったドミンゲスを指差すと、男はそれに気づき、
 飛んでいってしまった鳥に向かって叫んでいた。
 それでもまったくその鳥が戻ってくる様子はなく・・・、男はがくりと項垂れる。
 「く、くそ・・・これでまたしばらくまともな食事にありつけない・・・・。」
 その地獄にでも落とされたかのような様子に、も中々声を掛けられず、
 しばらく心配しながらも男の様子を伺った。
 (追手・・・には見えないわね。旅人・・・それににしては装備が・・・。それになんで鳥なんか追いかけてるのかしら?)
 全く正体の予想がつかない相手には思い切って話をかけた。
 「あの・・・・・大丈夫ですか?」
 「あ、ああ・・・。少しからかっただけなのに、あいつっ・・・。」
 あいつとはおそらくあの鳥の事なのだろうが・・・・今の話から考えると
 人間にからかわれて怒ってしまった鳥が、逃げてしまった・・・ということだろう。
 「失礼したね、お嬢さん。驚かせたみたいで。」
 「いえ、私こそ剣を向けようとしてごめんなさい。」
 「いや。元はと言えばあいつが悪いんだよ。」
 そう言って男は顔でドミンゲスが去っていった方向をさした。
 「ふふっ。」
 「はは。」
 その軽い調子にはつい可笑しくて笑ってしまった。
 その様子につられて男も笑っていた。
 「君はハイランドの人かい?」
 彼の質問にの笑いが止まる。
 
 ――・・・自分は、ハイランドの人間なのか?
 しかしもうその自分は捨てたつもりだ。
 だったら、どこの人間だというのだろう・・・。

 の顔が曇った。

 「悪い、別に答えたくなかったらいいんだ。」
 「あ・・・・・ごめんなさい。」
 「いや、いいんだ。でも名前くらいはいいだろ?知り合えたお近づきに。
  俺はナッシュだ。」
 すぐ明るい空気を流した彼は、軽く方目を閉じて笑顔で手を差し出す。
 その様子にも安心感を感じ、ナッシュの差し出した手を握った。
 「よ。」
 「。いい名前だな。」
 そう言いながら笑ったナッシュの笑顔は、どこか作ったような笑みで、
 でもその中にもとても優しいものがあるような・・・不思議な笑顔だった。
 「そうだ、。これからハイランドの国境を越えるんだけど・・・今の関所の状態とかってわかるかな?」
 「関所?都市同盟領に向かうの?」
 「ああ、ちょっと野暮用でね。まあ簡単に通してくれればいいんだけどさ、
  一応状況が厳しくないかどうか知っておきたくて。」 
 ナッシュの話を聞き、は少し考え込んだ。
 関所の状態を考えるふりをし、違う事を考える。
 (また天山を越えるともなるとかなりの日数がかかるし・・・。私が一人で関所を通過するのは少し危険だわ・・。
  でも早めに都市同盟領に入ってしまったほうが――)
 「そんなに厳しい状態なのか?」
 悶々と考えているの様子を見て、ナッシュが少し心配げな表情をする。
 考えすぎていた事に気づき、は慌てて首を振る。
 「えっ。いいえっ。今はまだそんなに厳しくないはずよ。」
 「・・・。そうか。わかった!ありがとう。」
 そう言って関所の方へと歩き出したナッシュを目で追い、は1つの決断をした。
 
 「・・・・・・わ、私も連れてって!」
 「は!?」
 突然の頼みにナッシュは足元に何もないにも関わらずこけそうになった。
 「お願い。関所を通過するまででいいの。」
 「し、しかし・・・・。」
 ナッシュは困ったような顔をし、手を頭へとやった。
 「どうしても都市同盟に行きたいの。お願い。」
 そう言いながらは頭を下げた。
 今思えばこんなに人に頼みごとをしたのは初めてだった。
 幼い頃、食べたい物やしたいことを両親に頼んだ時以来かもしれない。
 物心ついてから、『人に頼む』などということは一切できなくて、ただ指令通りの毎日。
 それが普通に感じるようになっていたは、
 これ以上どうやって人に物事を頼めば良いのかわからなかった。
 ただ、頭を下げることしか知らなかった。

 頭をさげたままのにナッシュは一瞬目を細めた。
 笑ったのではない。何故かその様子が痛々しく見えたのだ。
 マイコの表情は見えないが、きっと必死なんだろう・・・とナッシュは感じ取った。
 
 そしてナッシュがため息を吐いたのがわかると、はその瞳を強く瞑った。
 (やっぱり・・・・だめ・・・・。)
 
 「いいぜ。」
 「えっ?」
 は顔を上げ、ナッシュの瞳を驚きの表情で見つめる。
 「いいの?」
 「ああ。一人で関所を通るより二人のほうが通過しやすいしな。」
 「あ、ありがとう!」
 思いがけないナッシュの受け入れに、の顔がほころぶ。
 「ただ。」
 「ただ?」
 「ここから関所まで3日はかかる。それまで俺と二人きりだけどな。」
 「そっ・・・!」
 いきなりの言葉にの顔が一瞬で赤くなる。
 男性が言う久しぶりのそういう冗談には目を泳がしながらシードの面影を思い出した。
 (こっ、こんなこと言うのはシードくらいなのかと思ってたっ・・・!)
 オロオロとしたあとに、急にむっとした表情になるをナッシュは笑いながら頭を掻いていた。
 (・・・・・変なもの拾ったかな。)

 「まあ、それは冗談として。急ぐんだろ?」
 「え?あ、ええ。」
 ナッシュが歩き出し、それをが慌てて追いかける。
 そうして不思議な偶然に二人は都市同盟までの道のりを共に行動する事となった。









 その夜、二人は程よいところで足を止め、途中の森で野宿する事にした。
 思っていた以上に多くのモンスターに足止めを食らい、あまり進む事は出来なかったが、
 お互い二人でいて良かったと感じていた。
 「と一緒で助かったよ。あれだけの数だと流石にきつかったからな。」
 「それはお互い様よ。こんなにモンスターの数が増えてたなんて・・・。知らなかったわ。」
 二人は焚き火で暖を取り、火が消えないようその辺から拾ってきた枝をナッシュが放り入れる。
 「・・・・。君の武器なんだが。」
 「この剣の事?」
 「ああ、それはハルモニア製じゃないか?」
 「え・・・?」
 は母を撃ってから、愛銃を一度も使っていなかった。
 いや・・・・使えなかった。
 もちろん弾数という問題もあったが、を握ってしまうとどうしてもあの瞬間の母の顔を思い出してしまうのだ。
 はガン以外の様々な武器の訓練も受けてきた。
 その中でも細身の剣の扱いは得意で、ガンの次に扱いが慣れているものだった。
 そしてその剣も、父がハルモニアから取り寄せた物だった。
 (そんなに簡単にわかるものじゃないはず・・・。)
 「そうだけど・・・。ナッシュはハルモニアの人なの?」
 「いや・・・。グラスランドやハルモニアを転々としてきたんだけど、似たような物をハルモニアで見たんだ。」
 「・・・・そう。」
 (似たような物・・・。父が用意したものが簡単にその辺にあるとは思えないけど・・・・。)
 ナッシュにとって自分は得体の知れない人物かもしれないが、
 自分にとってもナッシュはかなり分からない人間だった。
 軽い調子で話を弾ませてくれる明るい男だが、まず戦闘時の身のこなしが普通ではない。
 時々相手に隙を与えるところも見えたが、それも何故かわざとな様な気がしてならなかった。
 (まるでわざと出来ないように振舞っているみたい・・・・・。)
 は相手の様子を少し探りながら黙って目の前の火を見つめた。
 ナッシュが置いておいた枝をまた火の中に投げ入れた。
 投げ入れられた枝は乾いた音を立て、徐々に炎に包まれた。
 そして沈黙をナッシュが破る。
 「君は、剣以外にも何か扱えるのか?」
 炎の中の枝が音を立て、火の粉が中に舞う。
 (しまった・・・・・。)
 その質問に反応しすぎたは、火を見つめたまま返答するタイミングを逃してしまった。
 今更「使えない。」と答えたところで嘘だということがみえみえだろう。
 「なんでそう思ったの?」
 仕方なく逃げの質問返しをする。
 (やっぱり会話に慣れないのは変わらないわね、私は。)
 は心の中で苦笑し、ナッシュの返事を待つ。
 「ん?ああ、身のこなしが良かったし、それに構えがちょっと不思議な感じだったんだ。」
 ナッシュは困った様子もなく、さらさらと答えていた。
 そして大きく身体を伸ばした。
 「やめやめ。・・・まあ、お互い知られたくない事もあるだろうしな。・・・・・悪い。」
 「・・・ううん。」
 ちょっと興味があったんだ。と言いながらナッシュはこちら側を向きながら横になった。

 ナッシュの目は薄いきれいな青緑で、その澄んだ色の瞳は人を見透かす、というよりも、
 人を探っているような瞳だった。
 しかしはその目に不快感を感じることはなかった。
 優しげだけれどもどこか嘘をついているようで、偽りを帯びているけれどもどこか真っ直ぐで・・・・。
 そして―――
 (哀しみを帯びた瞳・・・・・・。)

 その瞳と自分の瞳が閉ざされたのは空が少し白くなりだした頃だった。











 次の朝、ほとんど寝られなかった二人は昨日進めなかった分を挽回するため、早朝に出発した。
 その日からは何事も問題はなく、関所へ近づくにつれてモンスターの数も減っていった。
 ナッシュが面白い話や他の国について話してくれるため、は全く退屈する事がなく、
 自分の知らない世界を教えてくれるナッシュに徐々に打ち解けていった。
 
 「ナッシュって22歳に見えないわよね。」
 「おいおいっ。老けて見えるってことか?そういうはいくつなんだよ?」
 「え・・・。女の人に歳聞くなんて失礼ねっ。」
 「自分だって十分失礼だろう。」
 二人は同時に笑い出す。
 しかしその笑いは又もや同時に止められた。
 
 「・・・・・・。」
 「ええ・・・。」
 二人はゆっくりと態勢をつくり、互いに背を向き合って大きな気配に集中する。
 林の向こうからとてつもない速さで走ってくる足音が聞こえる。
 聞こえるのは足音だけではない。
 狂ったような獣の唸り声が徐々に近づいてくる。
 ここからではどんなモンスターなのか想像が付かない。
 「また俺みたいのが出てくるかもな。」
 「ナッシュの時は殺気じゃなくて変な気配だったから、今回は違うわよ。」
 「変な・・・ね。」
 ふっと笑いながら二人はその音が聞こえてくる方向へと向き直った。
 「来るぞ!!」
 ナッシュの声が聞こえた瞬間茂みから大きな影が飛び出した。
 その影はこちらにすぐには飛び掛ってこなかったが、今にも襲い掛かりそうな勢いで吼えている。
 敵を確認した瞬間、とナッシュの表情が驚きと戸惑いに変わった。
 「ホワイトタイガー!?」
 「なんでこんな所に!!」
 「ミューズ周辺でしか現れないはず・・・。」 
 「そんなこと考えてる暇はないぞ!!来る!!!」
 ホワイトタイガーは相手を定め、こちらへと襲い掛かってきた。
 それを避ける事はできても、攻撃するほどの余裕は二人にはなかった。
 「っまずいな・・・。」
 「ナッシュ!!いくら二人でも相手が悪いわ!逃げましょう!!!」
 「それには大賛成だ!!――っくそ!」
 次の行動を考える間も無く敵は素早くこちらへと向き直り飛びかかってくる。
 人間とはかけ離れたその俊敏さにナッシュはギリギリのところでそれを回避する。
 しかしナッシュの頬には一筋の血が流れていた。
 「ナッシュ!?」
 「大丈夫だ!ここは俺が援護する!は先に逃げろ!!」
 「なっ!!?――キャア!!」
 「!!!」
 ナッシュの判断に反論しようとした瞬間、敵はその隙を逃さずへと襲い掛かった。
 は敵に覆いかぶされたはしたが、ホワイトタイガーの牙を剣で防ぐ事で間一髪頭を食いちぎられることは逃れた。
 しかし態勢からして圧倒的に上に乗っている敵の方が有利である。
 剣で支えている腕が大きく震えてきた瞬間、敵が苦痛の声を出し、自分の上から退いた。
 唸っているホワイトタイガーの身体にはナッシュのスパイクが食い込んでいた。
 「!今のうちに逃げろ!!」
 「でも!!」
 「いいから逃げるんだ!!このままだと二人共死ぬぞ!!」
 敵はが戸惑っているうちに、今度は攻撃してきたナッシュへと身体を向ける。
 「俺もすぐ関所へ向かう!!行け!!!!」
 「・・・っ!分かったわ!!必ず関所で!!!」 
 「ああ!!」
 は素早く茂みの中に飛び込み、ホワイトタイガーは一瞬そちらへ顔を向ける。
 「おっと。お前の相手はこっちだぜ。」
 ナッシュは先程攻撃された頬に付いた血を拭い、背中にある剣を握った。











 「はぁっはぁっ!」
 (ナッシュっ・・・。必ず関所で!)
 は後ろを振り向くことなくひたすら森の中を全力で駆けていた。

 



 
 


 向かうはジョウストン都市同盟とハイランド王国をつなぐ唯一の関所。



 


 ――辺りは先程の戦いが嘘のように静かで、小鳥の鳴き声が響いていた。