少し安心してしまっていた。
彼の―――
シードの傍にいるのだ。という事だけで・・・・・。
だけど、そんな事も一瞬だけで、
考えるのは彼らの事ばかり・・・・・。
それに
追っ手がいなくなったという保障は・・・無い。
「シード・・・・。」
「あ?なんだよ。」
「この鎖・・・どうにかしてくれない?」
はうんざりした表情で左足につけられた鎖を指差す。
このテント内を移動するだけなら問題ないが、それ以上身動きが出来ないような長さにしてあった。
もちろん、シードの意向で。
持っていた剣も没収され、これではこのテント以外での行動どころか、逃げることなんて全くできなかった。
シードはの足に絡みつくそれを視線の端に映し、口の端を上げた。
「結構いい眺めじゃねぇか。」
「何馬鹿な事言ってるのっ?私は動物じゃないのよ!?」
は屈辱的な気持ちになり、少しばかり声を荒げる。
「落ち着けよ。別にお前が俺から離れないって言やぁこんな真似しねぇよ。」
「それは・・・・。」
「だろ?」
「・・・・・・・。」
そんな約束はできない。
それはシードも分かっているはずだ。
「それよりも久しぶりに飲もうぜ。」
シードは先ほど兵に持ってこさせたワインを開け始めた。
軍の駐屯地に酒が出回るなんていうのは日常茶飯事なのだろうが、まさか自分がその中に入るなんて、
は思いにもよらなかった。
(この状態では逃げ出すことはまず不可能だわ・・・。外には数え切れないほどの兵がいる。
武器が無い状態でその中を抜け出すのは・・・無理ね。)
は冷静に考えを巡らせ、いつ逃げ出せるかを考えた。
しかし、やはり今の現状では何も思い当たらない。
仕方なくシードが誘うテーブルへと足を向けた。
「シードは飲んじゃだめよ。」
「あ!?何言ってんだよ!」
「当たり前でしょう怪我人なのよ。傷の治りが遅くなるわ。」
「お前一人で飲む気かっ?」
「ええ。」
けろりと答えるに、シードはため息を吐いて、その流れる赤毛をくしゃりと乱した。
「そんなにお前に酒を植えつけたのは誰だよ。」
少し心がズキリとした。
しかし別に悪いことをしてきたわけじゃない。
ただビクトールやフリックと毎日のように飲んでいるうちに酒に強くなっただけ。
ちらりとグラスからシードへと視線を向けると、
それはいかにも拗ねた子供のようで・・・・。
「何拗ねてるの?」
「ばっ!拗ねてなんかねぇよ!
・・・・・ただ――」
「ただ?」
少し子供じみた表情から一変して、シードが男の顔になる。
「俺の知らねぇお前がいるのが・・・・・むかつくぜ。」
「そ・・・・」
(そんな事言われても・・・・・。)
言われても困る。
そうは表情に出し、すぐに手元のグラスへと目線を戻した。
「て事で俺も飲むからな。」
「ちょっ、シード!どういう事でそうなるのよっ。」
「いいじゃねぇか。久しぶりなんだからよ。少し話そうぜ。」
「・・・・はぁ。・・・・・・わかったわよ。」
(どうせ言ったって聞かないんだろうし・・・。)
そうは言ったものの、一旦飲み出したら止まるはずのないシード。
兵が持ってきた、シードの後ろに控えている大量のボトルを見て、は再度ため息を吐いた。
「そういや。」
「ん?」
シードがテーブルの上で揺れるランプを見ながら会話を切り出した。
揺れる光がぼんやりと、その綺麗な顔を照らしている。
そんなシードを前にして、少し緊張が走った。
「お前、追っ手に追われてるって言ってたよな。」
「・・・ええ。」
「どこのやつだと思う。」
「・・・・・。」
「朝にも話したけどよ、俺はハイランドの線は薄いと思うぜ。」
「・・・分からない。分からないけど、私が追われていることは確かよ。
一度だけ、ミューズを出た後に5人の男が私の前に現れたわ。」
ここまで話して一瞬迷いが生じた。
シードにこの事を話していいの――――・・・・・?
もしかしたら・・・・・。
あの追っ手は本当はハイランドのやつらで、
それを知られないようにシードが・・・・・・・・。
そう思いたくない内容が頭の中を駆け巡る。
思いたくない。
けど思わずにはいられない。
暗闇を歩いてきた自分にとって
裏切りなんて普通だったから。
裏切り?
もしシードが追っ手の事を隠そうとしていて・・・
それは、裏切りなの・・・・?
それを言うなら、
ハイランドを裏切った私は――――?
パリン!!
乾いた音が耳に響いた。
目の前にあったはずのグラスが床で砕け散っていた。
突然の事にが我に返る。
床に広がった酒の香りがいやに匂う。
一瞬自分がグラスを落としたのかと思ったが、違った。
―――シードだ。
「余計な事考えんじゃねぇよ・・・・。」
「・・・・・・。」
「俺は今、ハイランドの将軍として話してんるんじゃねぇ。
一人の男として、お前の事を考えて話してるんだ。」
「・・・シード・・・・・・。」
時々どきりとするその表情。
なんで彼はこんなにも様々な顔を持っているのだろう。
しかしそれは・・・全て本当の彼なのだろう。
シードはすぐ切り替えたように新しいグラスに酒を注ぎ、へと渡した。
「それで?」
「あ・・うん。」
は少し高鳴っている鼓動を落ち着かせるよう、一口そのグラスに口をつけてから再び話始めた。
「それで、名前を聞かれて・・・・。向こうは私の名前を知っていたわ。だからハイランドの人間だと思ったの。」
「確かに・・・お前の名前を知ってるやつは、ハイランドの人間くらいだな・・・・。」
「でしょう?それで・・・逃げ出した途端に襲い掛かってきて・・・・・なんとか撒いたの。」
「・・・・・。」
「それから・・・・・・、彼等に出会って・・・・。」
シードは再び光を放っているランプへと視線を向けた。
「それで奴らの・・・・・・仲間になったってわけか。」
は黙って頷いた。
「そうか。」
シードもただそうつぶやいて、新しいボトルを開けた。
もう数本空けてしまっているため、流石には酔いが回ってきていた。
話したくても中々聞けなかった事を
今話しても良い気がした。
この酒の力を少し借りて・・・・。
「ねぇシード・・・。」
「あ?」
「私が『黒』だって事・・・・いつ知ったの?」
長い
長い間。
いや、長くなかったのかもしれない。
でも
長く感じさせたのは・・・シードのせい。
シードのその驚いた表情のせいだ。
「そうだな・・・。」
シードはその微妙な間を持たせた後、
何も隠す様子もなく話し始める。
「まず『黒』かもしれないって気づいたのは、あの宴の時だ。」
―――あの宴。
煌びやかな世界に初めて足を踏み入れたあの日。
ルカに会い、剣を突きつけられたあの日。
そして・・・・・・
シードに「ありがとう」と初めて言ったあの日・・・・・・・。
あの時の事を思い出し、少しは頬を染める。
酒のせいだ。と自分に言い聞かせる。
「クルガンが大体『黒』の存在を知っていたからってのもあるな。
はっきりしたのは、お前がルカ様といたときに現れたヤツを一瞬で気絶させた時だ。」
は無言で頷きながら、グラスを空にする。
そのたびに自然にシードがそのグラスへとワインを注いだ。
「正直驚いたぜ。出てくるはずもない『黒』が普通にドレス着て、ジル様の侍女役をやってんだからよ。」
楽しそうに笑うシードを、は少し眉を寄せて睨みつける。
「私だって最初は嫌だったわよぉ・・・。」
呂律の回らない自分の声に一瞬驚く。
「あ〜、侍女なんて、喋る事しか仕事がないようなやつだからな。お前には向いてねーよ確かに。」
「そりゃそーでしょっ。」
それまで人とろくに話したこと無かったんだから。とぶつぶつ言いながらゴクゴクと酒を飲む。
「お前が『黒』って事ははっきりしてた。別にそれがどうした。ただの人間に変わりはねぇよ。」
顔に笑みを浮かべ、グラスに口をつけながらシードはそう言った。
嬉しい・・・・・・・。
そんなシードだから、私を連れ出してくれたのだろう。
あの狭い世界しか知らなかった私を・・・・・。
「だけどよ・・・―――」
シードの急な低い声に、が虚ろな瞳を向ける。
「お前が使う武器には驚いた。」
「・・・・・・・・・・・・。」
が思わず久しぶりに愛銃の名を口にする。
いつだっただろう・・・。
シードの前でを使ったのは・・・・・・。
はぼんやりとする思考の中でそんな疑問を巡らせた。
そして霧がかかっていたようなあの出来事が、
一気にはっきりとの頭の中で現れた。
「あの・・・・時・・・?」
「・・・ああ。」
あの時。
そう。あの時。
母を殺した―――――
あの時だ。
シードが何本目かわからないワインを開ける。
その音がやけに頭に響いた。
