忘れた事がなかった・・・・。
と言ってしまうと嘘になる。
だけど
心のどこかに彼がいたことは確かだった。
「・・・・・シー・・ド。」
頭が何も回らないまま、目の前の赤の名前を呼んでいた。
思わず手にしていた剣を落としそうになった。
足も手も・・・・・震えていた。
それは喜びのせいなのか、
恐ろしさのものなのか・・よくわからない。
確かなのは
シードが今目の前に存在している事。
どれくらい二人で黙っていたのだろう。
とてつもなく長く感じたが、恐らくほんの一瞬だろう。
シードの表情は暗くてよく見えなかったが、
その瞳だけは、いつものように燃えていた。
懐かしい・・・・その炎のような瞳。
これ以上何を言えばいいのか分からずそのまま黙っていると、シードの方から口を開いた。
「お前・・・・こんな所で何やってんだ・・・・?」
「え・・・。」
その声は心なしか怒りに震えているようにも感じられた。
驚きの声にも聞こえる。
表情が見えないため、それははっきりとはわからない。
(何っ・・て・・・・・。)
――――都市同盟の傭兵。
思わず口に出しそうになったその言葉をは飲み込む。
都市同盟の傭兵。
すなわちそれは・・・・・・・シードの敵。ということだ。
それを口にした瞬間に、私達は敵になる。
いや・・・既にもう敵同士なのだ・・・・・。
心から決めた仲間がいる。
守りたいと願う友がいる。
――その思いに揺るぎは・・・・無い。
ビクトールとの約束の期限はとっくに過ぎている。
しかし、自分は「やめる」という言葉を出した覚えは無い。
彼等にはまだ伝えていないが、傭兵隊に残る気でいたのだ。
それを・・・ミューズでフリックに伝えるつもりだった。
しかし、それを伝えられないまま逸れてしまった。
彼らにそれを伝えたい――っ・・・・・。
は今まで逃げていた目をその赤い瞳に向け、剣を握る手に力を入れた。
シードはその空気を察知したが、の言葉を待つかのようにじっと息を潜めた。
「・・・・都市同盟の傭兵よ。」
暗闇の中でその炎が揺れたのが分かった。
シードが瞳を細め、それを閉じた。
「そうか・・・。」
一言だけそう言うと、シードは剣を構えた。
先程の瞳とは違う。
人を殺す・・・目だ。
すっとは瞳を閉じ、ゆっくりとそれをまた開く。
の目もまた、先程とは全く違った色を放っていた。
流れるように剣を構える。
そして二人同時に息をすった瞬間にお互い地を蹴った。
先程二人がいた場所から丁度中心で剣が交じり、頭に響くような音がの耳に入る。
久しぶりに間近でみるシードの顔は、どこか悲しみを帯びていた。
はじ
一瞬その表情に油断し、力負けで後ろへと弾かれた。
「くっ・・。」
正直、最初の一撃でもう剣を持つ手は痺れてしまっていた。
シードの剣術は底知れない強さである。
(それは私が・・よく知ってる・・・・。)
ハイランドにいたときも、軽く手合わせした事があった。
もちろん、一度も勝てた事はなかった。
その時は大抵シードから「勝ったから何かしろ」という要求があったものだ。
その頃の記憶が頭をかすめ、は一瞬力を抜いた。
相変わらず手が痺れたままのを見て、シードが声を低くして話し始めた。
「剣でお前が俺に勝てるわけねぇ・・。お前は色んな武器を扱えるが、
俺から見れば剣術はひよっ子同然だ。」
「・・・・わかってるわ。」
「銃はどうした。」
「無くしたわ。」
「何だって!?」
意外な答えに思わずシードが声を荒げた。
「まじかよ・・・・・。お前の・・命同然のものだろうが。」
「確かに・・・は私の命だったかもしれないわ。
だけど、それはハイランドの暗殺者としての私よ。」
剣を構えたまま、目を逸らさず話すに、
今度はシードの瞳が逃げた。
「・・・・・・・ハイランドを捨てたのか。」
「・・・ええ。ハイランドも。その国に尽くした暗殺者の私も。」
悲しみと怒りが入り混じるシードの瞳と声に、心が軋んだ。
「私にとって、ハイランドには・・・・もう・・・・・。」
シードの表情につられ、も顔に悲しみが帯びる。
「もう・・・・何もないもの・・・・・・。」
「・・・ふざけんな。」
がもう一度シードを見ると、既に剣を降ろしてこちらへ向かってきていた。
思わず後ざすりをし、剣を握る手に迷いが走る。
そんなの戸惑いをよそに、シードはあっという間に近くまでやってきて、
剣を握っていないもう片方の手での肩を掴んだ。
「もう何もないだとっ?ふざけんな!!」
何に怒りを込められているのかわからず、ただは目の前の赤を見つめることしかできなかった。
「お前がいなくなって俺がどんな思いでいたか、お前はそれを分かってて言ってるのか!?
ユニコーン少年兵の指令を受けた事を知ってから、ずっと待ってたんだぞ!!
お前がっ・・・が帰ってくるのを!!」
(―――待っていた・・・?)
その瞬間、引っかかっていたものが全て取り除かれた気がした。
シードは、約束の場所へ行かなかった自分を
勝手にハイランドを飛び出した自分を
母親を殺した自分を・・・・・
待っていてくれたのだ・・・・・・・・・。
肩を強く掴んでいた手が、今度は優しく背に回された。
の瞳が大きく開かれる。
そして力強く引き寄せられ、抱きしめられた・・・。
お互いの手に握られた剣が、それを恋人同士の抱擁ではないことを物語らせる。
しかしシードの口からは、優しく、愛しさを込めた言葉が出されていた。
「・・・・・お前が・・・・・生きていて・・良かった。」
抱きしめられる腕の力が更に強くなった。
「シード・・・・。」
もあいている方の手をシードの大きな背中に回す。
「嫌われた・・・かと思ってた・・・。あんな・・・あんな事をあなたの目の前でした私を・・・・。」
―――母を殺した私を・・・・。
「約束を破って・・・。ハイランドから逃げ出して・・・・・。」
そして私は―――・・・・・・。
がシードの胸を押し、その腕から離れる。
「そして、都市同盟で・・・仲間を見つけたの。」
驚きの瞳を向けているシードに、は剣を向けた。
「なるほど・・な・・・。」
シードは反論もしないまま、降ろしていた剣を持ち直した。
「フリック!本当にミューズへの方向はこっちでいいのかよ!」
「間違いない!いいから走れ!」
砦が完全に炎に包まれる前に、二人はそこから抜け出してミューズへと向かっていた。
逃がした傭兵達や、達もミューズに向かっているはずである。
とにかく今は砦から離れ、一刻も早く目的地に向かうが先決とされていた。
フリックは全力で走り抜ける森の中、木の根元に月明かりで光る小さなものを見つけた。
「?」
もちろん、今はそんなものを気にしている暇は無いはずなのだが、
何故か引き寄せられるようにその光っているものへと足を向けた。
「これは・・・。」
フリックの手の中で光るそれは、自分には絶対には入らないくらい小さな指輪だった。
その指輪にはめ込まれた石は、無色透明なのに何故か角度を変えると様々な色に変化した。
それをフリックはじっと見つめる。
「おい!フリック何やってんだ!!行くぞ!」
数十歩ほど前にいるビクトールが急かすようにフリックを呼んだ。
フリックは一間置いてから、それを握り締めビクトールの方を向いた。
「ビクトール、先に行っててくれ!」
「なんだって!?」
思わず出た相方の言動に、思わずビクトールが素っ頓狂な声を出した。
「俺も後を必ず追う!」
「・・・・・。」
ビクトールは一瞬反論しようと口を開いたが、少し何かを考えたような表情をし、フリックの近くへと歩いてきた。
「か。」
「・・・・ああ。胸騒ぎがする。
それにあいつは、自分のせいで俺が死んでいるかもしれないと思っているはずだ・・・。
そんな苦しい思いのままにさせたくない。会えるものなら、会いたいんだ・・・・。」
「確証はないんだろ。」
「・・・・・・・ああ。無い。」
その真っ直ぐな青に、ビクトールが苦笑した。
「止めてもどうせ行くんだろ?」
「ああ。・・・悪い。」
「あやまんなよ。気持ち悪ぃ。」
ビクトールはニッと微笑み、フリックの肩をバシバシと叩いた。
「気が済むまで行って来い!ただし、戻ってこいよ。」
「わかってるさ。」
フリックも笑みをこぼし、その手にあるものを強く握った。
踵を返し、来た道無き道を走る相方を
ビクトールは見えなくなる前に自分も踵を返し、目的地へと向かった。
「っ・・・。」
フリックは見たこともない、初めて見るそれを手に握り、
それでも感じたの気配に、砦へと向かった。
遠くでまだ戦ってる兵たちの声と、剣がぶつかり合う音が聞こえる。
「はぁっ・・・はぁっ・・・・。」
「腕を上げたじゃねぇか。」
肩で息をするに、シードは少し呼吸を乱している程度で剣を向ける。
「うっ・・!」
突き出された剣を間一髪で避けた。
しかし、疲れが体に纏わりつき、完璧には避け切れなかった。
シードの剣が腕を掠める。
シードの剣に迷いは無い。
本気だ・・・。
も生きるため、崩れた体勢を整え剣を構えた。
「行くぞ!」
その言葉の瞬間、シードが信じられないくらいの速さで切りかかってきた。
は一歩も前に出るが出来ず、その場で振りかぶってきたそれを受け止めることで精一杯だった。
交わった剣を持つ手が震える。
(力では到底シードには敵わない・・・!どうすればっ・・。)
シードは無言で剣を交えている。
何かそれには不自然を感じていた。
いつも燃えるようにして戦っているはずのその表情は、今は何か揺れているような・・・
不思議な表情だ。
しかし剣の動きに油断は全く見られない。
それがまた不思議な空気をに感じさせた。
(シード・・・・・?)
「くっ!」
震えて耐えられなくなった剣を、無理やり弾く事で押される事は免れた。
しかし、押されていた状況で無理に弾いたため、の体勢は崩れ、後ろへ転ぶ形になってしまった。
「!!!」
その瞬間をシードは見逃さなかった。
上から剣が降ってくる。
は反射的に目を閉じ、無我夢中で剣を突き出した。
「ぐっ・・・。」
(・・・・・・・?)
おかしい・・・・・・・・。
刺されたのは自分なはずだ。
なのに痛くない。
それどころか・・・・・
剣を突き出した瞬間、何か手に違和感を感じた。
まさか・・・・・・・・。
そう思い、堅く閉じていた瞳をゆっくりと開く。
「!!」
そのまさかだった。
目に飛び込んできたのは、信じられない光景。
自分が突き出した剣がシードの腹に刺さり、そこからとめどなく血がでていた。
「シード!!!」
思わず叫び、は自分へと崩れて来るシードを受け止めた。
「どうして!?どうして・・!!」
(簡単に避けられたはず!それに・・・私が剣を出す前にあなたは剣を出していた!)
痛みに顔を歪め、呼吸を繰り返すシードには混乱の最中問いかけた。
「どうして私を殺さなかったの!?シード!」
「・・・・へっ・・俺が・・・お前を殺せると思うか・・・?」
荒くも細い呼吸の中、シードは笑みを浮かべながら小さく口を開いた。
「俺は・・・お前を・・・・・殺せない。」
「じゃあ・・・・どうして戦おうとしたの!?」
「・・・・・・お前は・・・・俺を殺せる。」
信じられない言葉に、の口が震えた。
「・・・・・・。」
無言のままシードを見つめ、鋭い目つきでその赤を見直し、
はシードの横腹に刺さったままの自分の剣を抜こうと試みた。
「何・・・する気だ・・・・っ。」
「止血するのよ!!」
瞳に涙を溜め、はシードを叱るように叫んだ。
そして集中し、ゆっくりと角度を変えないように刺さった剣を抜いた。
「良かった・・・そんなに深くはないわ!」
そして自分の服を破り、その大きな身体に巻きつけた。
「・・・・俺を・・生かすつもりか・・・・・。」
「そうよ。」
は処置をしながら、強く答えた。
苦しいほどに強く布を巻きつけ、止血する。
「生かして・・おくと・・・っ・・・・・お前を・・・離さないぜ・・・。」
「そんなこと生きれてから言って!!」
はきつくシードを睨んだ。
その目からは、さっきはそこに留まるだけだった涙が、もう溢れんばかりに流れていた。
シードはその涙を、意識が薄くなりながらも
美しいと思ったのだ。
そんなことを考えているうちに、がシードの腕を自分の肩へと回し、起き上がらせた。
「・・・・どうする・・つもりだ・・・・。」
「この近くに薬浴できる泉があるわ。それにそこに良く効く薬草が生っているからそこに行くのよ。」
(本当は衛生兵に治療させた方が早いのかもしれないけど・・・・。
私がシードをそこへ連れて行くわけにはいかないし・・・。
だからと言って、シードをここに置いて行っても見つかるまでには時間がかかるわ。
それだったら・・・あそこに連れて行ったほうが早い。)
「ほらシード、私に体重をかけないと歩けないわよ。」
「・・・・・くっ・・・くく・・・。」
この状況になって、シードは小さくも笑い出した。
「ちょ、ちょっとシード!出血しちゃうわっ。な、何が可笑しいのよっ。」
「いや・・・・・っ・・・・。はぁっ・・・・。こうして・・・・お前の近くに・・・いれて・・・・・・・、
刺された甲斐があったと思ってよ。」
「なっ!何こんな時にバカなこと言ってるのっ!」
こんな時にまで軽い事を口にするシードに対し、は怒りながらも無意識に顔を赤くしていた。
「ふっ・・・・本気で・・・思ってんだけど・・・よ・・。」
「も、もういいから黙ってっ。傷に響くわよ!」
「へーへー・・・・っ・・・・。」
は自分よりも遥かに大きいシードを支え、以前フリックと行った泉へと向かった。
自分がしていることが、これからどうなるかなんて考えなかった。
ただ、今守りたいと思ったものを
守ろうと思ったのだ。
フリックの声が聞こえた気がした。
「!」
フリックが着いた時には、もう砦の周りは屍が転がっているだけだった。
砦は崩れ、まだ炎が残っている。
辺りは死んだ人間の独特な匂いと、木の焦げた匂いが充満していた。
(くそ・・・!!やはり俺の勘違いか・・・・・。)
そう思いながらも、一つ一つ死体を確認せずにはいられなかった。
もちろん、兵は男ばかりなため、もしその中に女がいたとしたらすぐ分かるだろう。
それでも目を凝らさずにはいられなかった。
「・・・?」
そんな中、一つだけ異様に森の中に転がっている剣を見つけた。
辺りには死体も何もないのにも関わらず、そこに剣だけが不自然に落ちていた。
フリックはそれに近づき、その剣を確認する。
「・・・・・これは!」
・・・・・・間違いなかった。
それはフリックがに貸した剣だったのだ。
は生きている。
そしてこの場にいた。
「!」
フリックは静かなその戦場で、いないを探し続けた。
「どこだっ・・・・どこにいるんだ!」
パチパチと砦が燃え続ける音だけが、
フリックに返事を返していた。
