人はどんな時に「後悔」というものをするのだろうか。
誰かが言っていた。
ある事をしたことよりも、しなかった後悔の方が大きい。と・・・・・。
私は、してしまった後悔の方が・・・・・・・遥かに多く、
――心の大きな穴となっている。
エッド達と話をしてからずっと少年兵達のことが頭から離れなかった。
一人になるとすぐに蘇ってしまうあの惨劇・・・。
(正直・・・・・思い出したくない・・・・・。)
自室で休んでいたは思わず顔を両手で覆う。
目を閉じると余計にあの日の様子が浮かんだ。
(人の死なんて、自分には当たり前な事だったのに・・・・・。)
は単独での暗殺をこなしてきた。
しかし、多くの死を目にしたことはなく、あれほどの悲鳴を聞いたのも初めてだった。
いつもは、音もなくこの手で息の根を止めてきた人の命。
戦争とは・・・・・こんなにも激しいものだったのか・・・・・。
「・・・・・・・・。」
(ダメだわ・・・・。外の空気でも吸ってこようかしら・・・。)
一向に頭から離れない闇を紛らわそうと、は外で剣の訓練をすることにした。
そとはもう薄暗く、そんな中でも訓練をしている兵達の声が響いていた。
稽古をつけてほしいと頼まれたが、どうしてもそのような気分になれず、申し訳ないと思いながらも断った。
そして一人、隅の方で目を閉じて集中する。
ゆっくりと息を吐き、そして吸う。
そして誰かを切るという想像もなしに、剣を振り上げた。
それを何度も繰り返し、徐々に剣を振るう速さが上がる。
剣を振ったあとの次へのタイミングがとてつもなく早い。
の剣は、早いだけではなかった。
しなやかな動き、的確に相手を捕らえるだろう俊敏さ、
そして剣の重みを全く感じさせない軽やかさが、辺りの兵達を釘付けにさせた。
「はぁっ・・・・はっ・・。」
息が上がってきた頃には、周りには大勢の兵達が集まっていた。
それに気づかないほど、は訓練に没頭していた。
何かを忘れようと・・・・・。
忘れる事は出来なくとも、この一瞬だけは・・・・・。
「おい、何の騒ぎだ?」
しばらくして現れたフリックが、人を掻き分けようやく最前列で見ている兵を押しやる。
兵達の視線は相変わらずを捕らえていた。
「っ・・・!」
そしてフリックも、目の前で剣を振るう事に没頭しているに一瞬で釘付けになる。
声を掛けようとも何故か口が開いたまま動かなった。
「はっ!・・・・っ・・・・はあ!」 くう
はいつの間にか声を上げ、ひたすら空を切っていた。
その白い肌に、一度も見た事のない彼女の汗が伝っていた。
それに気づいたフリックは、隣でぼうっと彼女を見ている兵に話しかける。
「おい、いつからあんな事してるんだっ?」
「あっ、はい!近くで俺も訓練をして見ていたんですけど、さんが訓練を始めたのは日がまだ暮れる前です。」
フリックに突然話しかけられ、兵は一瞬驚きを見せたが、すぐさま目の前にいるに視線を移し
その動きを見つめながら答えた。
「そんなにやっているのかっ?」
フリックも答えた兵からすぐさまへと目線を戻し、少し声を荒げた。
「っ・・・・。」
そして一瞬顔を顰めた後、すぐにのもとへと足を進めた。
「!もうやめるんだ!」
少し強引に彼女の腕を引き、無理やりにでもその動きを制する。
「!!」
突然の事には驚き、その黒い瞳を急に現れた彼に向けた。
「お前達もっ!早く持ち場へ戻れ!!」
少々荒っぽい口調でフリックは回りにいる兵士たちに叫んだ。
その声に、一斉に兵達が動き出す。
「っ。どうしたんだ?」
「・・・・・はぁ!・・・はぁ!」
フリックの問いかけにも答えず、はただ息を整えようと肩を上下させていた。
「ビクトールがお前とを呼んでるんだが・・・・、今日はもう休むか?」
「っ・・・・はぁっ・・・はぁ。」
ビクトールに呼ばれているという言葉と、の名前に反応はするものの、まだ息が整えられない。
はただ顔を上げ、そして精一杯首を横に振るだけだった。
そんなに、フリックは無言で背中を優しく撫ぜる。
「ふっ・・・・はぁ・・・・・。っ・・・・フリッ・・ク・・・・。」
少しずつの呼吸が整い、目の前の彼の名を口にする事が出来た。
フリックは背中を撫ぜながら口を開く。
「ん?なんだ?」
「はぁ・・・剣を・・・・とって、くれない・・・?」
「剣?」
フリックの不思議そうな声には何度も頷く。
フリックが彼女の右手を見ると、未だに剣がしっかりと握られていた。
言われたとおりにの手をとり、その手から剣を外そうとする。
しかし、なかなか手から剣が離せない。
「・・・?、剣から手を離せないのか?」
「わ、からない・・・・。手に付いてしまったように・・・・剣が、離れないの・・・。」
の辛そうな顔を見て、フリックは再度その手から剣を外そうとする。
だがやはり離れない。
の手はしっかりと剣を握り、手が白くなっていた。
その手のひらからは、少し血が出ているようだった。
「、手をっ――」
「だめっ!離れ・・・ないっ・・・・!!」
(どうしてっ――!?)
混乱してきたの呼吸がまた乱れる。
次第にその細い体が震えだす。
「フ・・リックっ―――!」
思わず自分の口から出た、彼への助けの言葉。
『助けてほしい』と言ったわけではなかったが、声がそう叫んでいた。
そんな声を出した自分に驚いた。
そしてその瞬間
フリックに抱きしめられていた。
「落ち着けっ・・・・・。大丈夫だ・・・・。」
「はぁ!はっ・・・・。ふっ・・・・。」
大きく体を上下させるを、フリックは更に強く抱きしめる。
「大丈夫・・・・。大丈夫だ。・・・・。」
体から伝わるその低い響きに、は少しだけ目を細める。
「大丈夫・・。」
何度もフリックはその言葉を繰り返し、ただを抱きしめていた。
耳元で聞こえる彼の声は、昼に聞いた声とは少し違う音色で・・・・。
とても安心できるような・・・・。
そしてその肌の暖かさに少しだけ心臓が早くなる。
はその心地よさに目を閉じた。
いつの間にか息の乱れは収まり、静かに呼吸を繰り返していた。
「・・・・・。」
そのフリックの声に、
の右手から剣が、かしゃんと落ちた。
何もなくなった右手の中が少しだけじんと痛む。
だけど、優しく包んでくれる彼の腕がそれを忘れさせてくれた。
「ありがとう・・・フリック。」
落ち着きを取り戻したは、その瞳を開きフリックから離れようとする。
しかし、まだフリックの腕は力を込めたままだった。
「・・・?フリック?もう大丈夫よ?」
そう言いながら少しだけ彼の胸を押してみる。
だがビクともしないその体は、を包んだままだ。
「あ、あの。フ・・・フリック?」
(ちょ、ちょっと・・・?)
少しだけ残っていた兵達の視線に気づき、は少し焦りの声を出す。
しかしフリックは黙ったまま、さらに腕に力を込めた。
「無理を・・・するな。」
「え?」
「・・・・無理をするなっ。
自分で自分を傷つけるな!」
(・・・・・・フリック。)
抱きしめられたままのため、フリックがどんな表情をしているのかはわからない。
しかし、怒りを込めたようなその声は、
少し震えていた・・・・・。
「・・・・痛々しくてっ。俺は・・・そんなお前を見ていると辛くなるんだっ・・・。」
「・・・・・・ごめんなさい。」
怒りと悲しみが混ざったようなその声に、は謝るしか言葉が見つからなかった。
どうしていいのかわからず、彼の胸に置いたままだった両手をそのまま背中に回した。
「!!」
その瞬間フリックがを勢い良く離す。
「っ??」
(えっ・・?)
自分の行動が原因でフリックが急に離したのだろうということはわかった。
それが少し悲しかった。
(嫌だった・・のかな?)
「ごめんなさい・・・。」
は視線を落とし、先程手から離れた剣を拾う。
「あ・・いや、違うんだ。その、驚いて・・・。」
フリックは慌てて首を振り、の様子を目で追う。
「?うん。ごめん。」
「いや、こっちこそ・・・すまん。」
「ううん。助かったわ。
もう落ち着いたし、ビクトールの所へ行きましょ?」
「あ、ああ。」
既にいつもの様子に戻ったの後ろからフリックが追う。
(嫌だったのかな?
あまり自分から手を伸ばさない方がいいのかしら・・?)
未だに目の前の彼がしてくる行動に、自分がどうしていけば良いのか分からず、
その疑問や不安は増える一方だった。
二人は足早に先程後にした会議室へと向かった。
「おう、遅かったな。」
会議室に入るとビクトールと、さっきもこの部屋にいた、ジョウイがいた。
アップルも真剣な眼差しでたちを迎えた。
「ごめんなさい。遅くなってしまって。」
おそらく皆を待たせてしまったのだろうと気づき、慌てては謝った。
「いや、逆に休んでいいって言っときながら、夜にまた呼び出しちまって悪ぃな。」
「ううん。大丈夫。」
の後ろから入ってきたフリックが扉を閉める。
そしてビクトールが目の前にある机に手をつき、身を乗り出しながら話を始めた。
「よしっ。じゃあ話しを始めるぞ。」
何を耳にすることになるのだろう・・・・・。
その気持ちは隣にいるも同じなのか、息を呑む音が聞こえた。
「王国軍がもう近くまで迫ってきている事は分かっているな?」
ビクトールの問いかけに一同が真剣な様子で頷く。
「こんな砦でルカの軍を相手にどこまでもつかわからんが、とにかく手を尽くす事にした。」
ビクトールの後に、フリックが机の横まで歩きながら口を開いた。
「俺はミューズに行って援軍をかき集めてくる。」
そしてまたビクトールが話を始める。
「アップルには軍師として采配を振るってもらう事にした。
こいつは昔、俺達を勝利に導いた軍師さんの弟子だからな。 頼りになるやつだぜ。」
少しだけ笑みを浮かべるビクトールとは反対に、アップルは真剣そのものの表情で頷き、たちを見つめる。
(アップルさんが・・・軍師。それに昔の勝利って・・・・。)
どんどん進んでいく内容に質問など投げかける余裕などなく、話はビクトールによって進められていった。
「そこで、だ。」
ビクトールが腕を組み、たちを見つめる。
隣にいる達の空気が一瞬にして緊張に変わった。
「たちに少し協力してほしい事がある。」
「僕達に?」
予想外の内容だったのか、思わずが聞き返す。
「ああ。とにかく今は戦力が必要だ。俺らもここらを駆け回って、戦える人間と武器を集める。
使えそうなものは何でも使うつもりだ。そこでだ・・・これを見てくれ。」
そういってビクトールが今触れているものに一斉に目線が注がれた。
(これは・・・・・。)
は初めて目にする異様な出来の槍を見て、眉をよせた。
「これは火炎槍といって、ドワーフの秘法で作られた武器だ。穂先から高熱の炎を噴き出して、
敵を一気に焼き払う事ができる代物だ。」
「そんなものがこの砦に・・・。」
が驚きの声を出す。
それと同じようにも驚きの表情を隠せなかった。
(ドワーフの作った・・・秘法の武器。・・・すごい。)
その強力な武器を手にしているにも関わらず、あまりビクトールの表情は晴れない。
「ああ。確かに強力なんだが・・・。実は今は使い物にならなくてな、修理が必要なんだ。」
「お前が修理をサボったからだろ。」
頭をがしがしとかいているビクトールに、フリックが呆れた視線を送りながらため息を吐く。
「仕方ねぇだろ!もうこんなもん使うと思わなかったんだからよっ!」
ビクトールは頑張って反論しているようだが、周りから見れば反論にならない。
(どこか抜けてるのよね・・・。ビクトールって。)
心の中では苦笑する。
そしてビクトールは慌てて話を元に戻した。
「こいつの修理をできるのは、この辺りじゃリューベの山中に住む『神槍ツァイ』ってやつしかいないんだ。
そこでにツァイを連れてきてほしいんだ。」
「僕等がですかっ?」
流石の内容にも驚く。
(ハイランドの人間に・・そんな重要な役をっ?)
思わず隣にいるの顔を見る。
「お前らが傭兵隊に入ったわけでもない。ましてやハイランドの人間だったってことは分かってる。
でも今この砦は一人の兵士も外せないんだ。ひとつ頼むぜ・・・。」
いつにない神妙な様子には口を閉ざす。
そしてずっと真剣な表情でビクトールの話を聞いていたジョウイの方を一度だけ見てから、
はっきりと頷き、返事をかえした。
「わかりました。」
「助かるぜ。悪いがすぐ出発してくれるか。」
「はい。」
「じゃあ私は兵達への細かい指示と、君達の馬を借りてくるわね。」
「すまねぇな。アップル。」
この部屋から出ようと、振り返ったと目が合った。
はどきりとしたが、は軽く笑って会釈をし、足早にジョウイとアップルの後を追った。
静かに扉が閉められる。
「・・・・・・あの。」
取り残された自分に、何を言われるのだろうと居た堪れなくなり、
は自分から口を開く。
「あ?ああ、、待たせたな。お前にも頼みがある。」
(や、やっぱり・・・?)
の心のままの表情に、ビクトールはニヤリと口の端をあげた。
「悪いな。
お前との約束まで後2日ある。その2日間の間で、フリックと一緒にミューズに向かってほしい。」
「な!!」
信じられない内容だった。
(戦いが始まる直前に、片道2日はかかるミューズに向かえってことは・・・・・。)
この戦いと関わるな。
そう言われてるのだろうとすぐに気がついた。
ビクトールは、フリックと自分をミューズまで一緒にさせ、
それで約束の期限を切れさせる気なのだ。
(私を・・・・この戦いに巻き込まないためにっ・・・・・・。)
ふとフリックに視線を向けると、彼も納得しているようだった。
昼には『仲間だ』と言ってくれた・・・・・・。
だけど戦うだけが仲間じゃないんだ・・・・・・・・・・。
この2人はそれを気づかせてくれた。
は先程怪我をした手のひらに、また血がにじむほどその白い手を強く握り締めた。
「わかったわ。」
しっかりと二人を見据えては答えた。
二人は・・・・・・・・・・
優しく笑ってくれた。
