私は自分の生い立ちを呪った。
なぜ。私はあのように育てられたのか…。
なぜ。私は人殺しの訓練を受けてきたのか…。
父親は若くしてハルモニアの工作員だった。
そしてその腕を買われ、約40年前の王国と都市同盟との間で起きていた戦いのために、
ハイランド王国から声がかかったのだった。
そして皇王アガレスの下、その全面戦争を終わらせるために力を注いだ。
そんな中ハイランドの貴族の娘、私の母と結婚し、歳遅くして私が生まれた。
そして私はハイランドの工作員として、皇都ルルノイエの城内で
公けの存在として扱われないまま育てられた。
孤独……。
両親は優しくはあったが、訓練となると人が変わったように厳しかった。
幼い頃友人と言える人は少なく、心通う者はいなかった。
そして父が亡くなった後、更に仕事が増え人を殺すことが多くなった…。
自分が扱う武器は、片手で扱える程の小ぶりな「銃」が2つだった。
周りにはそのような武器を持っているものはいなかった。
それは父がよく流通していたハルモニアからの特注のものだった。
恐怖……。
これほどに恐ろしい武器はないと思った。
指ひとつ動かすだけで人の身体の中に鉛が一瞬にして入り込み、留まる。
紋章とは違う恐ろしさを感じながら、は愛銃「」を使い続けた。
(同じ城内でもやはり違うのね。)
は初めて足を踏み入れたジルの部屋を見渡した。
皇族が暮らしている敷地内に入ってからというもの、珍しいものばかりで落ち着かなかった。
「様はお生まれになった時から職務以外で城を出たことがないと伺いましたが…。
あまり城内を回られたことはなかったのですか?」
ジルは紅茶が注がれたカップに口をつける手前で話を始めた。
「はい。」
つい最近、塞ぎこんでしまっているという皇女の相手をしてくれないかと、
歳が近いという理由で指名がかかった。
もちろん、ジルはが何をしているのか、何をしてきたか等は知らない。
ただの話し相手という面目ではジルと会っていた。
ジルは16歳ということもあり、笑うとどこか幼さが残る可憐な少女だが、
やはり皇女としての振る舞いなどにはまったく頭が下がる。
そしてそんな様子からは、歳相応とは思えない程毅然とした女性の雰囲気を醸し出していた。
(私も見習って少しは女性らしくしてみようかしら?)
「幼い頃から訓練ばかりしておりましたから、幼少時に城内を遊びまわるということは
したことがありません。」
「そうでしたか…。お父上は確か、軍を務めてらした…。」
表では父は前第5軍軍団長とされているが…。それはあくまでも表向きのこと。
「はい…。子どもが私1人なために、女ということに関わらず厳しい父でした。」
「軍の中でお育ちになられた割にはお作法などきちんとしてらっしゃるのね。」
「そういうことでは母が厳しい人でしたので。たしなむ程度なら…。」
そんな会話の中、時折見せるジルの笑顔。
とて久しぶりに出来た歳の近い話し相手。
仕事以外で城外から出ることが許されなかったにとって、
ジルとのおしゃべりはささやかなひと時だった。
「今日はとても楽しかったです。こんなに笑ったのはいつ以来でしょう…。」
「私も…楽しかったです。またいつでもお呼び下さい。」
「ええ。ありがとう。」
扉が閉まり、ほっと息を吐く。
(変な事を色々聞かれないかと思ったけど、思っていた以上に誠実そうな方で良かったわ。)
はあまり会話が得意というわけではなく、
あのような場面で突拍子もないことを聞かれたときに上手くかわせる自信はない。
何をしているかなど、聞かれてしまえばすぐに知られてしまう危険性がある。
(それにしても…あのジル様がルカ様の妹君だとは本当に信じられないわね…。)
戦場での勇猛果敢さから「狂皇子」と呼ばれる皇子ルカ・ブライト。
公的な場で顔を見る以外は接したことはないが、自分の立場上彼のことはよく知っていた。
皇王アガレスから皇子ルカへと王国軍の指揮権が移ってからというものの、
自分はよく戦場へ駆り出され、敵の状況把握のために人を殺す機会が増えた。
情報を聞き出すためなら女、子ども関係なく殺す。
それが、今自分に課せられたもの…。
今やっている事は、工作員ではなく、ただの暗殺者。
(父様…あなたは私にこんなことをさせるために指導されてきたのですか………?)
自分の部屋への帰り道、はじめて見る中庭にふと目を向けた。
真っ白な椅子とテーブル、そして庭の真ん中には白い花が咲き乱れている大きな木があった。
(こんな所が城の中にあったなんて…。)
自然とその中庭へと足が向かった。
周りはもう闇に包まれており、月明かりを頼りに歩いた。
月の光を浴びた「白」は微かに青光りしているようにも見える。
(綺麗………。)
その庭にある木の花はもう散り始めており、微かな風が吹くだけでもたくさんの花びらが散っていた。
その花は白だと思われたが、薄い紅色のようだった。
夜の闇と月の光がそれを白と魅せていた。
その小さな花をもっと近くで見ようと木に近づいた時、何かが木のふもとにあることに気づいた。
(人……?)
少し警戒しながらも、はその人物に近づいて行った。
普段の自分なら有り得ない行動である。
しかしこんな時間に中庭に転がっている人物に対しての好奇心がそんないつもの自分よりも勝っていた。
はあと1メートルもない所で立ち止まった。
(寝てる・・・?まさか死んでないわよね。誰かしら?)
ルルノイエの城に出入りする人物なら全て把握しているつもりだったが、
月明かりが木の影に邪魔され、顔を見ることはできない。
うつむいているその顔を見ようと近くで覗き込んだとき
信じられないくらいの力で腕を掴まれ、木に押し付けられた。
(しまった・・・っ!)
身体が反射的にそれを退けようとするが、力が敵わず空いていたもう片方の腕も掴まれた。
「・・・誰だ?」
その人物は、今度はの顔を見ようと顔を近づけてくる。
真っ赤な瞳。
(ソロン・ジー配下の・・・・・・・・シード。)
暗闇のため、いつも印象的な赤い髪は紺色と化しているが、
その瞳だけはその奥で光を放っているように燃えていた。
軍の上位にあたる者はの存在こそは知っているが、顔までは知られていない。
しかし、は何故か彼の強い瞳に自分自身が曝け出されているような気がしていた。
「・・・知らない顔だな。その格好を見るとその辺の貴族の女には見えねぇな・・・。
誰の配下だ。」
「・・・・・・・・・。」
(どこまで・・・分かられてしまうかしら・・・。)
「いくら寝ていたとはいえ、この俺が人の気配に気づかないはずはねぇ。
だけどお前がかなり近くに来るまで気がつかなかった・・・。かなり訓練されてるな。」
夜ということもあるのか声を抑えて、しかし力強く話しかけてくるシードの瞳をはじっと見つめる。
「日が暮れてどれくらい経つ。」
「え?」
しばらくして出た思いもよらない質問には思わず間抜けな声を出した。
「あー、畜生っ。一休みするつもりで寝たのによ。クルガンの奴も起こせよな。」
シードは拘束していたの腕を放し、立ち上がった。
その際に月明かりがシードを包み込み、彼の象徴とも言える赤が鮮明に現れた。
そんなシードの様子を呆けたまま見ていたに手が差し出された。
「おら。」
「あ・・・。」
くいっと手を動かされ、掴まれと言われているのにようやく気づいた。
何の躊躇もなくその手に触れようとしたとき、シードの方からの手を掴んだ。
そして優しいとは言えない程の力でを立ち上がらせる。
「っと悪ぃ。痛かったか?」
「いえ・・・・・・。」
首を振った瞬間、は吹きだしてしまった。
猛将と呼ばれる彼が、見ず知らずの女に素直に謝った。
その様子が何故か無性におかしくて笑いが止まらなかった。
「あ?なんだよ。」
あからさまにシードは怪訝そうな顔をする。
「ごめんなさい。あまりに素直に謝るものだから。」
(猛将さんなのにね。)
可笑しくて口に手を添えながらもはまだ笑っていた。
「・・・・・・お前。」
「え?」
「一体誰だ・・・?」
質問された瞬間の顔から笑みが消える。
当たり前だがシードはまだの正体を知ろうとしていた。
(笑ってる場合じゃない。ここから立ち去る理由を考えなくちゃ・・・。)
敵味方関係なくあまり人と接することを止められているは最初から名乗るつもりはなかった。
正体がバレてしまえば仕事にならなくなるからだ。
しかし相手はその辺の兵士とは違う。
はぐらかすにはそれなりの理由が必要となるだろう。
が試行錯誤している時、中庭の入り口から声がかかった。
「シード様!クルガン様がお探しですっ。」
その瞬間シードは中庭の入り口から声を掛けてきた兵へと目を移す。
「ああっ?なんだよ一体。」
「わかりませんが…、とにかくシード様をお連れするよう言われまして。」
「ったく・・・。今行くと伝えろ。」
「は!」
ため息をひとつ吐いてから再びの方へと向いた。
が、そこにはいなかった。
「何っ…?」
シードの視界にあるのは、白い椅子とテーブル。
そして花びらをまるで急いで散らしているかのような大きな木があるだけだった。
バン!!!!
とは珍しく大きな音を出して自室の扉を閉めた。
「はあ・・・はあ・・・」
(あそこで人が来てくれて助かった・・・。)
命の危険とまでは行かないが、久しぶりの危機に動悸と息切れが止まらない。
(気づかれなかったわよね。あれなら。)
大丈夫。と自分に言い聞かせ、は浴室へと向かった。
浴槽につかりながらも考えるのは赤の人のことだった。
(なぜあんなにも警戒せずに近づいてしまったのかしら?いくら好奇心とはいえ・・・。
近づきさえしなければ危ない目にあうこともなかったのに・・・・・・。)
いつもしない自分の行動に、どうしようもないやりきれなさが残ったままは浴室を出た。
自分は人に隠し事をするのが苦手だった。
それでは仕事に支障がでてしまうと父によく叱られたものだ。
それでも改善できなかった。
だからあまり人と関わらないように最善を尽くした。
人と接しさえしなければ、問題は起きなかったから・・・。
「何をそんなに不貞腐れているんだ。」
「うるせぇ!元はと言えばクルガン、てめぇが俺を呼ばなければなあっ」
シードはクルガンの仕事部屋のソファに勢いよく座る。
「仕事を放り出したまま何を言う。俺が呼び出さなければそのまま帰るつもりだったのだろう。」
目の前に放ったままの書類をドサリと置かれるが、それに目もくれずシードは悪態をつく。
「名前すらまだ聞いてなかったんだぜっ?」
「ほう。お前が女を口説くのに失敗するとはな。」
珍しいこともあるものだ。と笑みを浮かべ、細かい内容を聞かずとも大体の事は予想がつく。と、
クルガンは手元の書類に目を走らせながらシードの正面に座る。
「口説く気なんかねぇよ。そいつが一歩手前まで近づいてくるまで、いくら寝ていたからって
気配に気がつかなかったんだぜ?しかもその後俺のことをケラケラ笑いやがった。
そんなやつなら気になるだろうが。」
「気配に気がつかなかった・・・?」
その内容に興味を持ったクルガンが書類から目をシードへと移す。
「ああ。あれはその辺の女に出来ることじゃねぇ。それに俺がそいつを押さえ込んだ時の行動も
普通に取る態勢じゃなかった。仕舞いに俺がちょっと目を離した途端に消えたんだぜ?」
「顔は知らなかったのか?」
「見たこともねぇよ。黒い髪に黒い目だ。」
話を聞き、少し考え込んでいるクルガンにシードがまた文句を言う。
「だからよ!お前が邪魔しなければなあっ」
「少し調べておくとしよう。お前は目の前の仕事を今日中に終わらせることに専念しろ。」
シードは更に机の引き出しから出された仕事の残りを見ても、
「てめぇが調べるのかよ!」
と、悪態をつきつつしばらく仕事に手を付ける事はなかった。
