朝の窓から差し込む光の上に、
まっさらな青が広がっていた。
フリックが
笑っているような気がした。
「シード。」
白いシーツに包まれたシードが、身体を縮めている自分を後ろから包んでいた。
「なんだよ・・・。」
まだ眠っていたかと思っていた後ろから返事がした。
少しかすれた声が、朝特有のけだるさを感じさせている。
「どうして私を抱かなかったの。」
「・・・・・・・・。」
そう。
昨夜、シードは結局を求める事無く
ただ身体を温めるかのように抱きしめているだけだった。
一晩中、寒さと恐怖で震えるの身体を後ろから優しく包み込んでいた・・・・。
ほんの少しシードが動くと同時に、がまるで拒否を起こしているかのようにびくりと肩を揺らす。
それを見たシードは、ゆっくりとのぬくもりを離した。
はそれを目で追いかける。
ひとつの温もりが離れ、少しばかりの寂しさが残った。
しかし、それでも安堵感の方が明らかに大きかった・・・。
シードはから逃げることなく瞳を見つめてくる。
そして苦しそうに・・それでいて少し悲しそうに口の端を上げた。
「最低だな・・俺は。」
シードの瞳に映るのは、もうすぐで壊してしまうところだった大切な存在の姿。
はずっと見つめられている事に気恥ずかしさを覚え、無理矢理肌蹴させられた胸元を隠す。
それを見ていたシードは思わず眉を顰めた。
「俺は、もうお前を壊しちまったのかもしれねぇな・・・。」
「シード・・・。」
は、恐らくここからすぐにでも逃げたくてたまらないであろう彼を――――
それでも逃げない彼を見つめ直した。
「シード、私は壊れてなんかないわ。」
シードの表情は変わらない。
「確かに・・・、確かに昨日のシードは怖かった。人に殺されそうになるのと違う恐怖を感じた・・・・。」
目の前の炎が・・・、昨日は音をたてて燃えていた炎が今はとても小さくなっている。
「でも・・・・・。」
でも――――――・・・・・・
―――――『愛してる・・・・・っ。』
確かにシードはそう言った。
――――――『お前を・・・・愛してる・・・・。』
の目を見つめ、まるで意識が朦朧としているような状況であってもそう口にしたのだ。
「嫌じゃなかった・・・・・。
こんな事されても、シードの事を嫌いになんかならなかった。」
自分で口にしている事が何を意味さすのかもよく分からないまま続けた。
「大丈夫。私は壊れてなんか無い。
私達の関係も・・・・壊れてなんかないよ。」
シードは許された子どものような瞳をこちらに向ける。
恐らくシードは、口には出さないが自身を壊してしまったのではないかという不安と同時に、
自分達の関係も崩れたであろうという恐怖も感じていたはずだ。
関係というものが壊れる恐ろしさは・・・・も充分理解していた。
シードは一瞬希望の光が交じり合った瞳をこちらに向けたが、
すぐにその目を逸らし、自分の手元へと視線を泳がせていた。
シードは、本人が許すと言ったところで、全てを流せるほど要領がいい男ではない。
今、彼の中では重い葛藤でいっぱいなのだろう。
「・・・俺は・・・俺が許せねぇ・・・。」
「でも―――」
「例えお前が許したとしても・・・、お前の心の中には俺への――・・・男への恐怖は消えない。
俺は・・・・。」
(・・・・・・・シード・・・・。)
シードは瞳を閉じ、そしてすぐに床に落ちている自分の上着を拾った。
そのままへと背を向け、扉へと向かった。
「シード・・・?」
の呼びかけがなくとも恐らく止まったであろうその足が、
ぴたりと扉の前で止まる。
「俺は・・・・もうお前には触れねぇ。」
「え・・・?」
シードは扉のどこかを見つめたまま、に背を向けたまま、
小さく上着を握り締め、反対の手でノブを握った。
「それが、俺が俺に対する罰だ。」
「シード待ってっ・・・。」
がベッドから降りようとしたとき、シードはこちらを向いて最後に瞳を交えた。
「悪かった・・・・。」
その一言を残し、静かに自分の部屋を後にした。
扉の閉まる音がの耳から頭へと響く。
「・・・・・・・。」
は片足だけをベッドから出したまま、ただその扉を見つめていた。
―――――「俺は・・・・もうお前には触れねぇ。」
触れないというのは、もう私を抱くという事をしないということだろうか。
それとも一切私へと触れることはないということだろうか。
それとも・・・・・・――――――
もう会話もしないということだろうか・・・・・。
何故だか・・・・・
置いていかれたような気持ちになった・・・・・。
朝が来たと思っていたつい先ほどが、嘘のように辺りは夕暮れ色に染まっていた。
はぼんやりとしたまま衣服を整え、主の戻らない部屋を後にして自室へと向かった。
――――何が・・・どうなったの・・・・。
自分の身に起こった事と、シードが立ち去った事で頭が混乱し、
廊下の目の前にクルガンが立っていることにも気がつかずぶつかった。
「っぁ・・・。」
力なくよろけたの腕をすかさずクルガンが掴んだ。
「大丈夫か。」
「あ・・はい。ごめんなさい・・・。」
クルガンは目を細めながらを見つめていた。
まるで昨夜からの事を全て知っているかのような目・・・・。
は微かな居心地の悪さを覚え、その手を離した。
「大丈夫です・・から。少し眩暈がしただけです。」
「・・・・そうか。」
「はい。ちょっと自分の部屋に戻って休んできますね。」
嘘くさい笑顔なんてクルガンに通用するなんて思ってない。
しかし、とにかく今はひとりになりたかった・・・。
この場を早くやり過ごして、ひとりで部屋に閉じこもりたかった。
軽く会釈をし、足早にその場を立ち去ろうとしたにクルガンが声をかけた。
「。」
その低い声に、の足がぴたりと止まる。
「ジョウイ様が明日ルルノイエへとお戻りになる。」
「・・・・え?」
突然出された内容に、のスイッチが切り替わった。
「市長代行のテレーズは逃したが・・・・、このグリンヒルはもう我々の手に落ちた。
ジョウイ様の働きかけにより、市民の安全も保障されている。
そろそろ次の事を考えねばならないからな。」
「次の事・・・?」
まるでジョウイの考えていることが分かっているかのように、クルガンは遠い目をしながら話していた。
「ともかくだ。ジョウイ様がルルノイエへと戻る道中、何が起きるか分からん。
そんな状況の中、こんな状態のお前を連れて行くかどうか私は今判断しかねているのだが・・・・。」
「行きます。」
先ほどとは全く違う瞳をクルガンへと向ける。
軍団長の長期間の移動は、本人だけでなく護衛の人間達もかなりの体力が必要となる。
疲れが見え始めた後半に、どこから誰が襲ってくるかも分からない。
そんな影のような敵を相手にするのが自分の役目でもあるのだ。
「クルガン様が何と言おうと、私はジョウイに着いて行きます。」
の真っ直ぐな瞳に、クルガンは少しだけ口角を上げた。
「そうか。道中は我々も一緒に同行することになっている。
だからと言って油断はするなよ。」
「・・我々?」
「私とシード、その下の者達だ。とは言っても目立たない程度の人数で移動することになる。
がいる上に、私やシードがついていく必要も無い様に思えるが、
我々もルルノイエでいくらか仕事があるからな。」
「そうですか・・・。」
―――――シードも・・・・。
朝に見た、霧の中のような赤が頭の中を過ぎる。
「。」
「っ・・、はい!」
何をしたというわけでもないが、何故か怒られるような気がしては勢いよく返事をした。
「無理はするなよ。」
「・・・・・・・・・・。」
の凛とした表情が、その一言で崩れそうになる。
しかし、それは自分のプライドが許さなかった。
「大丈夫です。」
はっきりとそう答えると、クルガンは微かに笑みを浮かべての肩へと手を置いた。
「明日は早い。今日はゆっくり休むんだな。」
「はい。」
「じゃあな。私は自室へ戻る。」
「クルガン様も、ゆっくり休んで下さいね。」
「お前に心配される程じゃないさ。」
そう言いながらクルガンは静かに廊下の奥へと歩いていった。
その背中をは笑顔で見送る。
誰も自分を見ていないと分かっていても・・・・、
無理矢理にでも笑顔を作っておきたかった。
自分を誤魔化すために・・・・・・・・・・・。
自室にて明日の準備をしていたの元へ、誰かが尋ねてきた音が部屋に響いた。
「はい?」
「僕です。ジョウイです。」
「ジョウイ・・・?」
――――「ジョウイ様の味方になったのも、ハイランドなんかの為でもジョウイ様の為でもねぇ。」
昨夜のシードの言葉が重くのしかかってきた。
――――「自分の罪を償いてぇから・・・・。
ただ自分が満足したいからだろ!?」
扉の先にいる、目には見えないその存在を見つめる。
(・・私は・・・・・、私は―――――)
再度扉が叩かれる。
「さん?」
は躊躇していた身体を動かし、すぐさま扉を開いて夜中の訪問者を招き入れた。
「どうしたの?明日は早いでしょう。早く休まないと。」
(なに何食わぬ顔しているのよ・・・・・・私。)
どこか罪悪感の抜けないまま、その少年と顔を合わせた。
「あ・・・はい。少し気になる事があって。」
「気になる・・・事?」
ジョウイがなんとなく引っかかりのあるような言い方をしたため、も気になった。
「何があったの?」
ジョウイは少し視線を外してから、一度口を開け、
一瞬戸惑いを見せてから再度話し始めた。
「シードが・・・・。」
思いも寄らぬ名前が少年の口から出た。
昨日今日の事だ。が冷静でいられるはずも無い。
「何・・・・?シードがどうしたのっ?」
つい口調も強まって食い入るようにジョウイを見てしまった。
視線を逸らしていたジョウイはそれに気づくことも無く、更に言いづらそうに続けた。
「今日シードと仕事について話す事があったんです。
その時に・・・・・・、その・・・・。」
中々言い出さないジョウイに、は珍しく相手を急かした。
「何かあったの?」
「何か、というわけではないんですけど・・・・、
フリックさんの事を聞かれました。」
澄んだ青が目の前を横切った。
「・・・・・・どうして?」
心の言葉がつい口に出てしまった。
何もおかしな言動というわけではないが、にとって無意識に言葉が発せられるという事はそう無い事である。
ジョウイは何も不思議と感じることなく続きを口にした。
「どうしてかは分かりませんが・・・、なんだかぼんやりした雰囲気で、
それと都市同盟についても少し質問されて・・・。」
「そ・・れで、ジョウイは何が気になってるの?」
「あ、はい。
実は・・・・・・シードの姿が見当たらないんです。」
「・・・え?」
フリックの名前が出た次に、この内容。
信じられないような、それでも有り得るような事態を考えずにはいられない。
「クルガン様のところはっ?」
はジョウイに今まで見せた事の無いような焦りを露にしていた。
「それが、クルガンが先に見当たらない事に気づいて僕の所に探しに来たんです。」
(クルガン様すらも分からないっていう事・・・?)
が思わず部屋を飛び出そうとしたところ、丁度話の内容に出ていた人物が現れた。
「っと。どこかへ行くつもりなのか。
、その前に・・ここにシードが来なかったか。」
「クルガン様!」
「クルガン・・・。」
「ジョウイ様もこちらにおいででしたか。そうすると・・・ここには来ていないようですね。」
クルガンはふと部屋の中を見渡すが、目当ての人物が見当たらず軽くため息を吐いた。
「全く、あいつは・・・・。」
三人がどうすればよいかと黙っていたとき、一階から登ってきた一人の兵が話しかけてきた。
「クルガン様、先ほどシード様がクルガン様の馬を借りると仰って何処かへ行かれましたが・・・・。」
「何だとっ・・・?」
「も、申し訳ありません。一度お止めしたのですが、見張りの兵を振り切ってでも出て行かれたので・・・。」
兵は自分が何か仕出かしてしまったのかとびくびくしていたが、
今は自分達に彼をフォローしている暇は無かった。
事態をすぐに呑み込み、一番に行動に移したのはだった。
「ジョウイ!馬を借りるわね!」
「え・・・?」
「待てっ・・!」
ジョウイが返答に困っている間に、そしてクルガンが彼女を止めようとしたその時には、
既には階段を駆け下りていた。
「シードっ・・・・、まさか・・・・!」
は、もう戻らないと決意していた都市同盟の方向へと・・・・・・
無我夢中で馬を走らせた。
シードが何処へ行ったのかも分からないまま・・・・・。
