だって。
「フリックさーん!!」
は聞き慣れたその名を耳にし、少女の声に振り向く。
毎日のように逃げ回るフリックを、休む事無く追いかけ続ける彼女は、
それでも幸せそうだった。
その高揚した瞳との瞳がぶつかる。
「さんっ。」
頬を染めたままこちらへと駆けてくるニナの瞳は、恋をしている瞳そのものだった。
「こんにちはニナちゃん。フリックを探しているの?」
「はいっ!さん、フリックさんを見かけませんでしたか?」
「いつもならこの辺にいると思うんだけど・・・・、今日はいないわね。」
「うーん、さんの所にいると思ったんだけどなぁ・・・・。
わかりました!他を探してみますね!」
そう言ってニナはぱたぱたと駆け足で洗濯場から去っていった。
彼だけを求めて・・・・。
(フリックも大変ね。)
はくすっと笑いながら、はためくシーツを背に再び腰を下ろす。
そして目の前に広がるデュナン湖を、目を細めて見下ろした。
少し強めの風が、シーツと同じようにの髪を靡かせる・・・・・。
「気持ち良い・・・・。」
―――――なのに・・・・・・。
「苦しい、な。」
彼女の気持ちは真っ直ぐだ。
そう。痛いくらいに。
ニナの純粋で素直な気持ちは、時にの心をつついた。
痒いような。
疼くような。
痛いような。
ちくちくと・・・・・の心が反応していた。
自分の気持ちを周りに素直に伝え、誰に聞かれても恥ずかしいことなど無いという
あの真っ直ぐすぎる気持ちが、には怖かった。
自分には到底出来ない、あの幼さが怖かった。
たとえフリックと想い合っていても・・・・だ。
「。」
「!!」
後ろからこの世で一番切ない声を聞き、は弾かれるように顔を上げた。
「・・・フリック・・・・。」
フリックの大きな影が、を太陽から隠す。
今度はフリックのマントが、シーツと同じように音を立てて揺れていた。
その一瞬の、誰もこの間に入っていない幸せな空間がの鼓動を弾ませ、頬を染めさせ、笑顔を作らせた。
しかし・・・・―――――
「今日もニナに追いかけられて参ったよ。」
苦笑を漏らし、ため息を吐きながらの隣に座ったフリックの出した言葉に、の表情が曇る。
しかしフリックはそれに全く気付きもせず、ぱっと笑顔を作り楽しそうに会話を始めた。
「そうだ。ビクトールがいい酒が入ったと言っていたぞ。今日の夜辺り一緒にどうだ?」
フリックが笑顔をに向けた時、既には立ち上がり、
今度はフリックを太陽から遮っていた。
フリックは太陽と被るの表情が読み取れず、そのまま目を細めて彼女を見つめた
「どうした?」
「・・・・・・・・・・・。」
顔を見ようとフリックが立ち上がろうとした時、はその場を立ち去った。
「!?」
「来ないで!」
「っ・・・。」
の一言で、思わず伸ばしたその腕をフリックは引いた。
「急にどうし――――」
「なんでもないから一人にして。」
―――――イヤ・・・。一緒にいて。
そんな言葉など素直に出せるはずも無く、はその場を立ち去った。
その場に残されたフリックは、何が起きたのかも分からず立ち尽くすだけだった。
―――――どうして・・・・。彼女は言えるのに、どうして私は言えないのっ・・?
ただ、「好き」って。
「一緒にいて」って。
ただそれだけなのに。
「他の女の人の名前なんて言わないでって」・・・・・言えばいいのに。
「だって・・・・・・・・・・。」
好きすぎて・・・・そんな事言えない。
我侭な女だと、嫌われたくなくて・・・・・言えない・・・・・・・・・・・。
がふとベッドで目を覚ました時、既に窓の外は暗闇に包まれていた。
「やだ・・・私、寝ちゃった・・・・。」
あの後、声を殺してベッドで泣きじゃくっていたは、そのまま眠ってしまった。
月の明かりと、外の松明の灯りでかろうじて部屋の中が見渡すことが出来た。
ランプをつけようと、ゆっくりとベッドから降りたとき、扉が小さくノックされた。
「・・・はい。」
「俺だ・・・。」
「っ・・・・。」
は思わずノブを握ろうとしていた手を止めた。
(フリックっ・・・。)
目の前に見えるはずも無いフリックを、瞳を見開いて見つめる。
「、開けてくれないか。」
「・・・・・。」
「。」
「・・・・・・一人にして。」
―――――ああ・・・・。また・・・・・。
は自分の憎いくらい素直じゃない口をかみ締め、瞳を強く閉じる。
それでも扉の向こうから聞こえてくる声は、どんな音色よりも優しくて・・・・。
「お前の顔を見たいんだ・・・・。」
「・・・・・・。」
会いたくないと自分から言っておきながら、
フリックの言葉に心から喜んで、心臓を弾ませている自分がいた。
「開けるぞ。」
「ぁ・・・・。」
一瞬戸惑いを見せただったが、フリックは既にノブを回していた。
古い扉が軋む音をたてて開かれる。
その向こうから現れた人は、誰よりも愛しい存在・・・・・。
なのに・・・・・。
「・・・・・。」
フリックは後ろ手で扉を閉め、少し寂しそうに目を細めての頬を撫ぜた。
「一人で・・泣いていたのか。」
「っ・・。」
先ほどまで自分が泣きじゃくっていたことを忘れていたは、
自分の顔が今どれだけ酷い顔をしているのかに気付き、顔を赤くして俯いた。
それでも両頬を大きい手で包まれ、少し強い力で上を向かされる。
は恥ずかしさで、瞳を閉じた。
「見ない・・・で。」
「どうして・・・。」
「だって・・恥ずかしいからっ・・・。」
「何が恥ずかしいんだ・・・?」
フリックが少し笑みを含んだ声を出した。
その甘い声がの耳をくすぐる。
の心の奥が、きゅん。と縮んだ。
「こんな・・・私、フリックに見られたくないの・・・。」
―――――あんな小さな彼女を羨ましいと思って、嫉妬している自分なんて・・・・・。
閉じた瞳から閉じ込めきれなかった涙が、じわりと溢れる。
目じりに浮かんだその涙を、フリックが優しく指で撫ぜた。
「俺は、お前の全部を見たい。」
想像もしていなかった真っ直ぐな応えに、は瞳を見開いた。
今度は涙が一筋流れ、フリックの指を濡らした。
「笑ってるお前も、怒ってるお前も、泣いてるお前も・・・・・。」
フリックはその一つ一つの言葉のたびに、頬や額、目元にキスを降らす。
「全部愛しいと思うよ・・・・。」
最後に笑顔で優しく私へと微笑む・・・・・。
そして、「ん?」と首をかしげながら、少年のような疑問の瞳を向ける。
(こういうところは・・・鈍いんだなぁ。)
嬉しさで歯痒い気持ちを持ちながら、どこか子どものようなフリックを見つめて思わずが笑みをこぼす。
そう。フリックはまだが先ほど機嫌が悪かった理由を分かっておらず、それを聞いているのだ。
フリックは優しくの涙を袖で拭った。
そのままが口を開く。
「ニナちゃんが・・・羨ましかったの。」
「ニナが?」
フリックは意外というような表情をし、手を止めてを見つめた。
は少し恥ずかしそうにしながらも、こくりと小さく頷く。
「ほら、彼女って素直に自分の気持ちをぶつけてるじゃない・・?
真っ直ぐで、純粋で・・・・・。いいな・・・って・・・思って。」
は口に出しているうちに更に恥ずかしくなったのか、徐々に声が小さくなっていく。
「えと・・・・だから・・・・。」
ごもごもと言葉に困るに、フリックは少し目をぱちくりとさせてから、今度は愛しそうに目元を緩めた。
「嫉妬。してくれたのか?」
「あっ・・・・。」
かぁっと赤くなるの顔をフリックは先ほどからその大きな両手で包んだままだ。
「そんな必要ないんだぞ。」
「だって・・・・。」
「だってじゃない。」
「だっ―――。・・・・・・・・。」
少し、むっと口を尖らせるに、フリックはふっと笑みをこぼしてから、そこへと音をたてて口付けた。
「!」
「羨ましいならお前も皆の前で俺の事を好きだと言えばいい。」
「そ!そんなの無理に決まってるでしょ!」
「そうか?俺はできるぞ。世界で一番お前を愛してると言える・・・・。」
「いっ・・・!言っちゃだめ!」
「どうして。」
顔を真っ赤にしたまま、その至近距離から離れようとは試みるが、
片手で顔を支えられ、背中にもう片方の腕が回っており自由が利かなかった。
「だ、・・・って・・・・・。」
「だって?」
「〜〜〜〜〜っっ・・・。」
「言えよ・・・。」
フリックは、答えを知ってる。
「だって・・・・・っ。」
それはきっと、同じ気持ちだから・・・・・。
「フリックのその言葉を・・・他のヒトに聞いてほしくないからっ・・・・。」
「そうだな・・・・。」
そうフリックは笑みを浮かべ、を強く強く、抱きしめた。
後はもう、言葉なんていらない・・・・・・。