に酔う















 「あー・・・。お月さんだ。・・・・綺麗ねぇ。」
 誰かに話しかけるわけでもなく、ぼさっと一人でがつぶやく。
 片手にはワインが入ったグラス。
 いつもにぎわい、シモーヌとヴァンサン達がお茶を楽しんでいるそこは、
 今はとフリック、そしてビクトールの3人がいるだけだった。

 はそのバルコニーから見えるその月をぼんやりと眺めていた。
 いつも皆で眺める月は大きく、白く、火なんかがなくても、その明かりだけで十分と言えるほど光を放っていた。
 今日自分達の上に昇っている月は、少し赤みを帯びた猫の爪。
 「あぁ?全然丸くねぇじゃねーか。」
 手すりに寄りかかっていたの隣に、ビクトールがぼやきながら来た。
 「もう。別に丸い月だけが綺麗って訳じゃないのよ?」
 「そういうもんか?」
 ビクトールは疑問を持ったままの表情でにワインを注ぎ足した。
 「ビクトールの頭の中は熊並みだからな。」
 テーブルで大人しく飲んでいたフリックがぽつりともらす。
 「フリック!てめぇ!いつもいつも人のことを熊扱いしやがって!」
 ビクトールはそう言いながらフリックの隣に座り、ボトルを荒くテーブルに置いた。
 そのボトルをフリックが取り、自分のグラスに注ぐ。
 「てめぇもいつまでもそんなもん頭に巻いてないでいい加減取れよ!」
 「おい!ひっぱるなよっ。それとこれとは関係ないだろう!」

 (またやってる・・・。)
 はじゃれ合う二人を背に、再び頭上の月を見上げた。




 昔・・・・・、幼い頃に少し夢みた事があった。

 あのゆりかごのような三日月に座って地上を見渡す。

 そんな事をしてみたいと思った事があった。

 月の端に腰をかけ、雲よりも高いそこから皆を見おろすのだ。




 もちろん、そんなことは現実には無理な事で・・・。
 しかしそんなおとぎ話のような世界に惹かれた時が確かにあった。
 「ふふっ。」
 (今でも座れるものなら座ってみたいわ。)
 そんな夢を見ていた幼い頃を思い出し、グラスに口をつける。
 「何を楽しそうに見てるんだ?」
 一人で笑っているの隣にフリックが寄り添う。
 彼の手にはグラスと・・・・、もう飲んでしまったのか、新しいボトルがもう片方の手に握られていた。
 「ん?なんだか子供の頃を思い出しちゃって。可愛い事考えていたなぁって思ったの。」
 「子供の頃か・・・。」
 空を見上げたままのをフリックがじっと見つめてくる。
 目を合わせなくても、横から痛いほどの視線を感じた。
 たまらずはフリックの方を見る。
 「な、何?」
 フリックは頬杖をつき、酔っているのか、少し潤みを帯びた瞳でこちらを見続けていた。
 「いや・・・、は小さい頃も可愛かったんだろうな・・・と思ってさ。」
 「なっ・・・。」
 一瞬、それは幼い頃は誰でも可愛いわよ。と答えようとしたが『小さい頃も』という言葉を思い出し、
 は口をぱくぱくさせて顔を真っ赤にした。
 (フリックって絶対無意識にああいう事言ってるんだわっ。)
 その上いつもとは違う、艶のある表情で言われたらたまったものではない。
 「うん?もペースが速くなったよな。」
 自分の持っているグラスが空になったことに気づいたフリックが、それに酒を注ぎ足した。。
 その時、左に居る彼とは離れた右手にグラスを持っていたため、フリックとの距離が一気に縮まっていた。

 「おい!」
 「うわっ。」
 「え!?」

 二人の間に無理やり入ってきたのは、もちろんビクトール。
 初めは酒に集中していたビクトールだったが、気づいたときには言い合っていた相方が目の前に居ず、
 を口説いている(ように見えた)と思ったため、急いで間に割って入ったのだ。
 「フリック、本当にお前はいつもおいしいところばっか取って行きやがるなっ。」
 「お前には酒がいるだろうが。」
 「酒も要るが、女も要るぜ!」
 そういいながらビクトールはの肩を掴み、引き寄せる。
 「ひゃっ。」
 突然のその力強さに驚き、は寄せられている腕に対しての緊張と、
 ワインをこぼさないようにと二つの事で頭がいっぱいになった。
 「どうしようもない奴だなお前は。」
 少し呆れ気味のフリックも、酒の席のためか少し笑っているようにも思えた。
 「あの、ビクトール?ちょっと痛い・・・。」
 二人の何気に楽しそうな雰囲気をもう少し見ていたい気もあったのだが、
 少しずつ苦しくなってくる状態に流石に耐えられなくなってしまった。
 「おっと!すまんすまん。お前は普通の女よりも丈夫だろうからつい力が入っちまった。
  わはははは!」
 「くっ・・・。」

 (わはははじゃないわよ・・・。しかもフリックも密かに笑わないでよっ。)
 「もうっ。」
 ふいと、また二人に背を向けて最初に落ち着いていたテーブルへと戻る。
 さっき入れられたばかりのグラスに目をやり、それを一気に飲み干した。
 そんなを笑いながら、ビクトールが話しかけてきた。
 「何よ?」
 「いや、いい飲みっぷりだと思ってよ。」
 いつものにやにや顔のビクトールを睨みつけ、少し口を尖らせる。
 もう少し大人な反応ができればいいのだろうが、かなり回ってきているには無理なことだった。
 隣にいるビクトールを無視してがぶがぶとワインを飲み続ける。
 「ふう。」




 「俺だって女なら誰だっていいってわけじゃないんだぜ?」


 じゃぶじゃぶとグラスに酒を注いでいた自分の手がそのまま止まる。
 周りの空気が止まったような気がして、動いているのは目の前で流れ続ける赤いワインだけ。
 (え?)
 心の中だけで疑問を投げかけ、目だけをビクトールに向けた。
 笑っている。
 けど、それはいつものにやにや顔じゃなくて・・・・。


 「!お前は飲みすぎだ!明日に残るぞ。」
 今度は口に出して問いかけをしようとしたとき、さっきまで一人月を眺めていたフリックが
 の持っていたグラスとボトルを取り上げた。
 「確かにな。そろそろお開きにするとするか。」
 「ああ、そうだな。」

 目の前で淡々と片づけを始める二人をはただおどおどと見るだけだった。

 もちろん、片付けをしようとしても体がいう事を聞かず、
 ぽつんと一人、離れた椅子に座っているだけだった。








 テーブルの上をもくもくと片づけている二人はと言うと・・・・・。







 「おい、に何言ってたんだ?」
 「あ?別に大したことねぇよ。」
 「大したことあるだろ。あきらかにあいつの様子おかしかったぞ。」
 「そうかー?・・・お前こそ何やらしく近づこうとしてんだよ。」
 「ばっ!!やらしくなんかしてないだろう!?」
 「いや、あれはやらしい手つきだったぜ。顔もな。」
 「それはお前だろう!」






 (楽しそう・・・・。)

 少し離れたところでまたはしゃいでいる二人を見て、はにっこりと微笑んだ。












 その手に持たれたグラスの中には、






 細い三日月が浮かんでいた。