昼下がりの穏やかな時間。


 皇都ルルノイエの城内は、とても静かな時が流れていた。





























 「シード様ーー!!どこですか!?」

































 ・・・・・・・・・流れていた。・・・・はずだった。



























  猛将の作戦



















 「シード様ー!?」
 まるで雷が落ちたかのようなその叫びは、穏やかなひと時に降る一筋の稲妻のようだった。
 原因は、もちろん呼ばれているシードである。

 「一体どうしたんだ。騒々しいぞ。」
 「あ!クルガン様っ。シード様を見かけませんでしたか!?」
 クルガンは、怒りで頬を上気させている彼女を見て軽く目を閉じため息を吐いた。
 「あいつは・・また抜け出したのか?」
 「はいっ。デスクでの業務が一週間分以上も溜まっているんです!!」
 「一週間か・・・相当な量だな・・・。」
 「全くですよっ。以前は私もお手伝いしていましたけれど
  先週からは、きちんとクルガン様の言いつけ通りにシード様お一人でやって頂く・・・はずだったんですけど―――」
 「結局、その先週から進まなくなったのか。」
 「・・・・・・・・はい・・。」
 は徐々に落ち込むように視線を落としていった。
 その進まない仕事を自分がしてしまっても良いのだが、
 それではシードのためにならないとクルガンから指摘されていたため、全て本人にやらせる事となっていた。
 しかし結局一向に進まない業務に、上官から注意をされるのは書類を提出しに行くだった。
 (やっぱり・・・シード様が筆を進められないのも・・私の力不足・・・・。)
 先ほどの勢いが全く見られなくなったの肩に、そっとクルガンの大きな手が乗せられた。
 「そんなに気に病むな。仕事が進まないのはお前のせいではない。」
 「・・・・・はい。」
 
 確かに、将軍という肩書きを持っているのだから、
 外へと出て剣を振るうのが彼にとっての一番の仕事なのだろう。
 しかし、それだけでは上に立つ者はやっていけないのだ。

 愛しく思う人だからこそ、無理はしてほしくない。
 しかし、中途半端にやるべき事を投げ出すという事は、もっとしてほしくないのだ。

 (そしてそれをきちんと成す様に促すのは・・・私の役目。)

 「。」
 頭上から聞こえた呼びかけに、は視線を上げる。
 「お前は充分自分のやるべき事をやっている。
  あいつも、自らのけじめはきちんと自分でつけなくてはいけない。」
 「はい。」
 「分かっているな。」
 「・・はいっ。」
 強い頷きを確認したクルガンは、薄く微笑んだ後その場を去っていった。

 (やっぱり・・・手伝っちゃ駄目よね。よし、シード様をまず探さないと!)




 今は兵達もゆっくりと休みを入れている真昼だ。
 外で訓練などをしている者はほとんどいないだろう。
 (そうなると―――・・・・やっぱりあそこかしら。)

 は来た道を戻り、城の裏庭へと続く廊下を足早に歩いた。
 城内は冬にも関わらず暖かく、とても過ごしやすい。
 それでも彼は外にいるだろうという確信がにはあった。

 突き当たりの重い扉を開き、外へ出て扉の音を立てないようゆっくりと閉めた。
 少々肌寒い風が通り抜けるが、今日は晴天のため、陽にあたれば暖かいくらいだった。

 ルルノイエの城には、ガラス張りの多きなテラスがある。
 普段は暇を持て余している皇族達くらいしか足の踏み入れない場所だ。
 しかし、テラスの中が少々寒くなる冬は彼らすらもほとんど来ないような所だった。

 そう・・・・ここへ来る数少ない皇族が来なくなるこの時期に、
 訓練をする兵士が少なくなって、外が静かになるこの時間に、
 こんなところへ来る人物は一人くらいだった。

 はガラス張りの扉を静かに開き、頭だけを入れて中を確認した。
 しかし、それだけではシードが中に居るかどうかは分からず、結局足を踏み入れる事となった。
 流石に皇族や将軍が愛用している場所となると、勝手に入り込むのは気が引ける。
 だが、今はそんな事は言ってられない。
 今すぐにシードには机に向かってもらわなければならないのだ。
 大げさに言うと、一刻を争うくらいである。
 は、シードに気づかれぬよう静かに足を進めた。


 ガラス一枚で覆われたそのテラスは、温室として様々な植物も育てられていた。
 まるで森のように生い茂る植物の間に目を凝らしシードを探す。
 ある程度奥まで来た頃に開けた場所へと辿り着いた。
 そこにはいくつかのテーブルと椅子が置いてあり、光を遮るものが無い分とても暖かかった。
 はそのテーブルたちが並ぶ更に奥へと目をやった。
 長いソファがあちらを向いて置いてあり、その端から長い足が飛び出してるのが見えた。
 (やっぱりここでしたか・・。)
 少し笑みを含んだため息を吐き、恐らく寝ているであろうシードを起こさぬようゆっくりと近づいた。
 本来の目的は彼を仕事に戻すためなのだが、どうもこういう所では気を使ってしまう。

 ひょいとソファの表側を覗き込むと、案の定熟睡中のシードがそこにいた。
 (これだけ人が近づいて起きないのって・・・それってまずくないですか?シード様。)

 これ程の人物が、他人が近づいても起きないのは気を許している証拠か・・・・、
 それともその他人の気に感じ慣れ、それを安心なものとして捉えているか・・・・。
 は音もなく笑い、しゃがみこんでシードの顔を覗き込む。
 あどけないその寝顔は、それでもどこか疲れが残っているように見えた。
 全力でハイランドを守っている証拠でもあるだろう・・・。

 自国を守りたい気持ちはよく分かる。
 とてシードと同じ軍人。国のために命を投げ出す覚悟は既に出来ているくらいだ。
 それが誇りでもある。

 ――――けれど・・・・・





 (それよりも、守りたいものが出来たと言ったら・・・嫌われてしまうでしょうね・・・・・。)






 彼の心を手に入れるつもりはない。
 傍にいてシードを守る事が、役に立つ事が充分自分の喜びとなっていたからだ。

 (それなのに・・・貴方はどうしてこんなに私に心を開いてくれるのですか?)

 ――――そんな事をされてしまうと・・・・・決心が鈍ります・・・・。
 







 は、ゆっくりとシードの頬に手を置いた。




























 風が吹くはずのないテラスで、花々が揺れる。






























 そして・・・・・・・唇をそこへと重ねた。




























 触れたか触れないかのところで顔を離し、ゆっくりと瞳を開ける。

 シードの方は相変わらずその瞳を閉じたまま、呼吸を静かに繰り返していた。



 少し残念なような、安心したような気持ちを巡らせ、は立ち上がった。
 そして、シードから一歩離れた所で呼吸をゆっくり整える。









 「シード様!!」


 「おわ!?」



 に大声で起こされたシードは、あまりの驚きに声を上げて目を覚まし、
 ソファから落ちそうになったが辛うじてそこにかじりついていた。
 「あっぶねぇな!ったく、もう少し優しく起こせねぇのかよ?」
 「いつまで経ってもお仕事へ戻らないシード様が悪いんですよ!さ、早く机に戻ってください!」
 はびしっと城の方へと指をさす。
 シードは何かブツブツと文句を言い、面倒くさそうに起き上がった。
 「あ〜・・・、ほらなんだ、今日は天気がいいだろ?」
 「ええ、そうですね。」
 「だからよ、城下にでも買い物に――――」
 「シード様・・・・?」
 の冷たい視線にシードはようやく観念したのか、居心地が悪そうに頭をかいた。
 「・・・・・わーったよ。戻ればいいんだろ。」
 「きちんとして下さいね!私はクルガン様の言いつけ通り、もう手伝えないんですから。」
 その言葉に、シードがぴたりと足を止める。
 後ろから着いてきていたも、思わず同じように足を止めてシードの背中を見つめた。
 「シード様?」
 「・・・。」
 「はい。」
 突然の真剣な呼びかけに、に緊張が走った。
 何か重大な任務でも任せられるのだろうか・・・・・。

 それとも――――先ほどの事を問われるのだろうか・・・・・・・・。

 (まさか・・・・・あの時起きて――――)



 「お前は誰の下で働いている?」

 「・・シード様です。」


 少し緊張しながらも、すぐさまに答えを返す。
 自分がただの一兵士である限り、将軍の言う事は絶対だ。
 そんな事は当たり前のようにシードも分かっているはずなのだが・・・・。
 「何故そのような事を聞かれるんですか?」
 相変わらず向こうを向いたままのシードの背中に、は素直に問いかけた。
 シードは首をこきこきと鳴らし、一息ついてからようやくこちらを振り向いた。
 その紅い瞳に捕らわれてしまったかのように、は凍りつく。
 「そうだ。お前に命令できるのはこの俺だ。」
 「・・・はい。」
 「そうだろう?」
 「・・・・・・はい?」
 「だーっ・・・・。ったくなぁっ。」
 シードは中々気づかないにイラついたのか、身体ごとこちらを向けて近づいてきた。
 「だから、クルガンの言う事なんか聞かなくていいっつー事だよ!」
 「はい!?」
 シードの言っている事はめちゃくちゃだ。
 確かに、はシードの直属の部下である。
 だからと言って、クルガンの命令を聞かない理由にはならない。
 はシード専用の召使ではないのだから。
 「仰っている事がめちゃくちゃです!
  ・・・・・・・そう言えば仕事を手伝ってもらえると思ったんですか・・・・?」
 再度冷たい視線を向けられたシードは、うっ・・・と気持ち後退した。
 「シード様、私は確かに貴方の直属の部下です。秘書とも言えるでしょう。
  ですが、貴方だけの言う事を聞くというだけの形の人間ではありません。」
 「・・・・・。」
 シードは跋が悪そうに、頬をかいていた。
 「シード様?」
 「あー!わーった!分かったよ!」
 「分かってくださればいいんです。」
 は内心ほっと息を吐き、深く頷いた。
 しかし、あのシードが簡単に引き下がる事は難しいらしく・・・・・・・、
 すぐさまニヤリと笑い、に身体が触れるか触れないかの場所まで近づいた。
 「・・・シ、シードさま?」
 この自信たっぷりな笑みを見て、立場が逆転したかのようには冷や汗を流した。
 すぐ頭上にあるシードの顔を恐る恐る見上げる。
 「、お前が俺だけの言う事を聞けないっつー事は分かった。」
 「そうで――――」
 「だけどな。」
 シードの最初の言葉に笑顔を戻しただったが、すぐさま遮られたその一言にぴたりと表情が固まった。
 「仕事は手伝ってもらうぜ?」
 一層笑みを深くしたシードが出した言葉に、は眉間にシワを思い切り寄せた。
 「シード様!何度言ったら―――」
 が開いた唇に、シードの長い指が重なる。
 近距離でされるその行動は、にとって大混乱を招くのに十分なもので・・・、
 何度も瞬きを繰り返すその目を、シードの指と瞳へ何度も往復させた。



 「お前は、俺の手伝いをするしかねーんだよ。」




 シードは唇に指を置いたまま、今度はその綺麗な顔を近づけてきた。













































 「俺がお前に気づかないで寝ていたと思ったか?」





















 「―――!!!」

 シードはがテラスに足を踏み入れた時から彼女の存在に気づいていたのだ。




 そうするように・・・・仕向けたのだから。




 そう。

 全てはシードの作戦通り。


 猛将の作戦が、仕事の手伝いをしてもらうためのものだったのか、
 それとも彼女を自然と自分へ歩み寄せるためのものだったのか・・・・・。

 しかし、当のはめられた本人は既にそんな疑問を持つほどの余裕など無かった。














 「あ、貴方って人はっ!」


























 がシードの仕事を手伝ったのは言うまでもない。




 はこの事件以来、彼は剣術だけが長けているわけではないと悟った。


























 何より自分が身を持ってその策略にはまってしまったのだから・・・・・。